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2017年12月23日16:32

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第7番

第19回ネット鑑賞会第3夜

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第7番イ長調作品92
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮
シカゴ交響楽団


かんち自身の解説

ベト7。ベートーヴェンの9つの交響曲の中で最も完成されていると言われる作品でありながら、人気は「あなそれ」状態だった作品が、脚光を浴びたのは、あのドラマ「のだめ」のテーマ音楽に使われたことでした。

それをきっかけに認知度急上昇!今では、アマチュアオケでも普通に7番、8番が演奏される時代になりました。

リズムの権化と言われる作品ですが、今回選んだショルティはまさにそのリズムのテンポ感がよく、第7番の特徴をよく表していると同時に、アンサンブルのステディさも素晴らしい点です。

是非とも、のだめの世界へ・・・・・じゃなかった、ベートーヴェンが残した「リズムトランス状態」を味わってみて下さい。

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交響曲第7番イ長調作品92は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1811年から1812年にかけて作曲した交響曲。リズム重視の曲想から現代においても人気が高く、演奏される機会が多い。

第5番や第6番におけるさまざまな新たな試みの後に、再び正統的な手法による交響曲に回帰した作品である。

ワーグナーは各楽章におけるリズム動機の活用を指して、この曲を舞踏の聖化(Apotheose des Tanzes)と絶賛している。その一方で、ウェーバーは「ベートーヴェンは今や精神病院行きだ」との言葉を残し、ワインガルトナーは「他のいかなる曲よりも精神的疲労を生じさせる」と語っているなど、音楽家からの評価は様々である。

作曲は1811年から1812年にかけて行われ、初演は、1813年12月8日、ウィーンにて、ベートーヴェン自身の指揮で行われた。同じ演奏会で初演された『ウェリントンの勝利』の方が聴衆の受けはよかったとされるが、それでも初演は成功であり、第2楽章はアンコールを求められた。

古楽やピリオド楽器の研究の影響がベートーヴェンの演奏にまで影響し始める以前の、伝統的なモダン楽器による演奏では第1・3・4楽章のすべての繰り返しを含むと約42分とされる。

ただし、すべての繰り返しが行われる演奏は少なく、その結果40分弱の時間で演奏されることが多かった。カラヤン/ベルリン・フィルなどでは35分を切る時間で演奏されている。近年は、かつては「速すぎる」と考えられていたベートーヴェンのメトロノーム指示と作曲当時の演奏習慣を尊重する傾向が強まり、全て繰り返しを行っても40分を切る演奏も増えている。

第3番のような拡張されたホルンのパートはなく、第5番や第6番のようにピッコロやトロンボーンを動員することもなく、第9番のような合唱はもちろん使用されていない。また書法も第3番や第9番に比べて明瞭であり、古典的な管弦楽といえる。

第8番の初演で一緒に演奏された際は、木管楽器が倍、弦楽器はヴァイオリン各18、ヴィオラ14、チェロ12、コントラバス7、さらに出版譜に無いコントラファゴットも2本加わるという当時としては巨大な編成であった。

自筆スコアは現存しており、ポーランドのクラクフ・ヤギェウォ図書館に収蔵されている。これは戦前ドイツに有ったものが第2次大戦の際に戦火を避けて疎開させられ、ドイツの敗戦後ポーランドに接収されたためである。初版は1816年シュタイナー社から交響曲では初めてパート譜とスコアの両方が出され、シュタイナーで校正を担当していたピアニストでベートーヴェンから「悪魔」と呼ばれたアントン・ディアベッリ(悪魔とは"Diabolus Diabelli"というベートーヴェンがよく使った語呂合わせ)が出版用筆写スコアを準備した。それまでの交響曲に比べて第7番に関する資料はベートーヴェン自身が修正したものが多く残っており、ベートーヴェンが書きたかった/避けたかった稿態を知る手がかりとなる。

20世紀末に残存する原典資料の点検が行われ、ベーレンライター出版社がジョナサン・デルマーの校訂で、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社もペーター・ハウシルトの校訂で新しい原典版を出版した。また将来ボンのベートーヴェン研究所が編纂する新ベートーヴェン全集版(校訂はエルンスト・ヘルトリヒ。当初は交響曲第5 - 6番を校訂した児島新が引き続き担当する予定だったが、死去により引き継いだ)もヘンレ社から刊行予定である。資料が多いため、どの資料を重視するかによって譜面は変化する。2社が出した原典版も、ほぼ同じ資料に拠りながら、相違点がある。

ブライトコプフ社の旧ベートーヴェン全集の版(エディション)は、出版されて以来一世紀以上にわたって多くの指揮者/団体が使用してきたが、第2楽章の最後のヴァイオリンパート[注 2]にアルコの指示がある。その部分の少し前から続くピチカートからアルコに切り替えるものであるが、エーリヒ・クライバー、カルロス・クライバーなど一部の指揮者はピチカートのまま弾かせている。これは自筆スコアを参照した結果、掻き消され見にくい当該部分(ベートーヴェンによって自筆スコアの当初の案を抹消した上に書き直された)をアルコ無しと判断したからとみられる。同じ部分についてブライトコプフ社の新版(ハウシルト校訂)は同社の旧版と同じだが、ベーレンライター新版(デルマー校訂)では原典資料(自筆スコア〜筆写スコア〜初版)で一致した稿態として、275小節のアルコを276小節に移している。
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