朝起きたら死んでいたというのがいい。もしそうなったとしても、悲しまなくていい。
昨日の日記にも書きましたが、母親は何年も前から、それこそ100回以上、そのように言っていました。ただ、その理由が何だったのかが思い出せません。100回以上も言っているのだから、理由を話したこともあったと思うのですが、覚えていません。
一般的に考えられる理由は以下の3つくらいです。
(1) 苦しみたくない。怖い思いをしたくない。
(2) 長期の闘病で家族に迷惑をかけたくない。
(3) 自宅で死にたい。
これ以外の特殊な理由があったのだとしたら、話していると思いますし、ボクも覚えていると思います。なので、この3つだったんだろうと考えられます。
母方の親類縁者は、祖母(母の母)以外は、そのほとんどが突然死です。実際、数年前に亡くなった伯父(母の兄)の奥さんは、朝起きたら死んでいました。なので、そういうことも意識していたのかもしれません。
実際の母の死は、(3)はダメでしたが、(1)と(2)は微妙です。ボクからすれば、(2)は気にしなくてもいいことだから、(1)が気になります。
手術後でも、わずかに意識はあったので、苦痛や恐怖を感じた瞬間はあったと思います。ただ、もともと記憶力に問題があったので、当時の意識レベルでは、すぐに忘れてしまった可能性が高いと思われます。また、16日未明の急変後は意識ゼロだったので、苦痛も恐怖を感じていないと考えられます。
なので、(3)がメインでなければ、母親の希望は半分くらいかなったと考えてもいいのかなと、ここ数日考えています。
いずれにしても、母親は自分が突然死する可能性を、ボク以上に意識していたことになります。ボク自身は、検査結果を確認しながら、突然死の可能性はまだ高くないと判断していたので、そんなに真剣に考えていませんでした。
いずれにしても、母親が生前に残した言葉の数々は遺言だったのであり、もし、16日の心停止の前に言葉を発することができたとしても、ほぼ同じようなことを言ったはずです。
母親はよく「預金、年金、印鑑どうなっている」ということを気にしていましたが、ボクが管理していると聞くと、「だったら、私が死んでも大丈夫だね」と答えていました。世間では、母親が死んだ後、通帳や暗証番号がわからなくて困った、という話をよく耳にしますが、母親は常にその心配をしていたのでしょう。
長くお世話になっている女性編集者にH谷さんという方がいますが、「電話口の受け答えがしっかりしていて、主婦っぽくない。なにか仕事をしていたのか」と聞かれたことがあります。申し送りなど、仕事はきっちりやるというが母親の美学でした。人生の申し送りもきっちりしたかったんだと思います。
ボクが言うのもなんですが、認知症になっても、そういうところだけは最後まできっちりしていた母親でした。生前はそうは思いませんでしたが、今になると、母親のそういうところを立派だったと思えます。
実は、母親が亡くなってから数日間、ボクは上記の言葉を忘れていました。母親の思い出で頭の中がいっぱいだったにも関わらず、なぜか上記の言葉だけ忘れていました。思い出したのは、火葬場に向かうバスの中でした。それが不思議でなりません。
思い出してからは、母親の死に対する受け止め方が、少し和らいだような気がします。あくまでも少しですけど。
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