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2017年12月18日09:39

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「政治嫌い」は、「主権放棄」の別名

政治詩 「政治嫌い」は、「主権放棄」の別名

            リーフ作

ぽっかり口を開けてテレビに見入っている大人たち。
政治嫌いを口にしていた哲学者谷川徹三。
この種の「政治嫌い」は、「主権放棄組」として世の中にあふれている。

「自分では主権を行使している」と錯覚している「主権放棄組」もたくさんいる。
「小選挙区は自民へ、比例区は公明へ」に惰性投票するのも、主権放棄に等しい。
社民党支持者や日本共産党支持者で戦後70年たっても議席1桁台、それでも無批判というのもちょっとおかしくないか?
時間が味方だと思っているのか?
政治を天気だと思っているのか?人間の意志とは別に動く天気だと。
これも「自分では主権を行使している」気になっている「主権放棄組」だろう。

憲法学者で憲法を放棄している者もいる。
小林節など、「法律は守れ」と自衛隊に教えたと胸を張っている。
「憲法は守れ」ではない。「法律は守れ」だ。
憲法のどこに「法律は守れ」と書いてあるのだ。憲法は、この憲法に反する法律は無効だから守るなと書いている。
これなども、主権放棄組だ。憲法に反する法律を守っていたのでは人民主権は実現しない。
憲法に反するナチス立法をバンバン作られ、それに反対する主権者人民を制圧してたのではどこが人民主権だ。

だからこんな「日本国憲法嫌い」も主権放棄組だ。
【「基本的人権、国民主権、平和主義の三原則を無くしてこそ自主憲法」と言い放ったナチス元法務大臣の長勢甚遠】
https://www.youtube.com/watch?v=KqT6oAoEkFU&feature=youtu.be























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