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2017年12月18日03:00

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母親の葬儀準備など

以下のつぶやきの続きです。

SMAP/Vさんのつぶやき
葬儀の相談や準備をしながら、家族の中で母親のことを一番よく知っているのは自分なんだと再認識した。「母だったら何を望むだろう」と自分が考えて判断したことなら、多少のズレはあっても、納得してくれるんじゃないかと。一番よく知ってるから、重たい十字架を背負っているような気分になるわけだが。

2017年12月17日 00:38 全体に公開

アール・ケイ 2017年12月17日 00:48
ご家庭によって異なるでしょうけど、母親って自分の一番の理解者なの(だと思いたいん)ですよね。

粗忽庵 2017年12月17日 06:11
葬儀は故人の為のものであると同時に、残された人たちの為のものでもあります。私の父は「葬儀は無用」と書いた遺書らしきメモを残していたのですが、それはスルーして(笑)小規模な葬儀を実施しました。
イイネ! アール・ケイ

粗忽庵 2017年12月17日 12:20
あと、お手伝い出来ることがあれば、遠慮なくお知らせください。

SMAP/V 2017年12月17日 15:20
> 粗忽庵さん タイムリーなコメントありがとうございます。今も悩んでいるんです。どこまで知らせるか。出席を催促しているみたいで、やりづらいなあ、と。(^^;;

粗忽庵 2017年12月17日 15:42
> SMAP/Vさん 私もまずそこで悩んだんです。私の父はキャリア途中で子会社に移った人なので、親会社には知らなかったら、後から散発的にお悔やみが来た(笑)。主婦の場合、ご近所はともかく、趣味や習い事、パート、ボランティア、行きつけの喫茶店など、思いがけない交友関係が予想されます。

アール・ケイ 2017年12月17日 16:29
> SMAP/Vさま うちの母の場合は、ほんと親族だけで、母の友人関係は一切知らせませんでした。

アール・ケイ 2017年12月17日 16:30
明確な遺言があったわけではないのですが、とにかく大袈裟になることは嫌がってましたから。

アール・ケイ 2017年12月17日 16:32
その辺は地域とか、最近まで外で働いていたか、にもよりますが、昨今は家族葬が多いですよね。

minneco 2017年12月17日 17:51
遅くなりましたが、お悔やみ申し上げます。大叔母の場合、近所の人との付き合いがありましたので、一人に連絡しましたら、ばっと広がりました。近所の方はお通夜のみいらしてました。

SMAP/V 2017年12月18日 01:51
> 粗忽庵さん つぶやきは記録に残しづらいので、この先は日記にコメントします。

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粗忽庵さんのアドバイスに倣って、積極的に電話をかけてみたのですが、反応はまちまちでした。手間をかけて電話番号を調べたのに、死因も通夜の日程も聞かないで、あっさりと電話を切られてしまうケースもあれば、葬儀には行けないがと10分くらい話し込んでくれる人もいました。

小中学校時代の友人で、ボクの携帯のリストに載っている人が2人いました。10年くらい前に、新宿でミニ同窓会があって、一人で行かせるのが心配だったので、会場まで同行したことがありました(帰りには迎えに行きました)。その時の連絡用にリストに入れたのだと思います。似たようなことは、何回もしていたので、年賀状のやり取りはなくても、名前がわかる人が何人かいたわけです。そんなわけで、仕事関係が2系統、同窓関係も2系統は、その中に誰かに連絡を入れることができました。

これとほぼ同時期に、整理整頓ができなくなった母親の、名簿類をまとめたことがあったのですが、名簿だと数が多すぎて、誰が仲がいい人なのか判断できません。ただ、ボクがわかる人物や年賀状をくれていた人が、上記の4系統のどれに属するのかを判断するのに役立ちました。母親自身は、葬儀は簡単でいい、親戚にもあまり連絡しなくていい、と言っていたので、こんなことを望んでいなかったかもしれません。ただ、ボクが連絡したのは、近年まで交流があった人たちなので、連絡くらいはしておいたほうがいいと考えました。

ひょっとしたら、この人は亡くなったと聞いたかもしれないという人もいましたが、念のため電話してみたら、やはり5年前に亡くなったとのことでした。この人の場合、2005年に5人規模のミニ同窓会を越谷でやっていて、その時に、この人が郵送してきた写真があります。この時のことはボクも覚えているのですが、「名簿をありがとうございました」と書いてあったので、名簿をワープロで打つのをボクが手伝ったのかもしれません。ちなみに、その手紙には「小泉の民営化で日本はちょっと良くなるかもしれない」なんてことも書いてあり、良くも悪くも時代を感じます。「癌になったが助かった」などとも書いてありましたが、2012年ごろに亡くなったわけです。

逆にまったくわからないのが近所関係。母と一緒に近所を歩いていると、知らない人とあいさつしていることがありましたが、こういうのはもう無理ですね。文字通りの近所には、今日伝えましたが、それ以外だと、よく利用した飲食店の店員くらいしか思いつきません。

交友記録や電話番号を調べる作業もそうですが、故人が生きた痕跡を調べるというのは、なんとも重たい気持ちになります。偉大な人物だったらちょっと違うのかもしれませんが、一般的に見たら、平凡で取るに足らないような些細な人生でも、母親にとってはかけがえのない人生だったわけですから、そんな風に考えながら作業していると、胸が詰まる思いがします。

特に遺影の写真を選ぶ作業は、どの写真を見ても、数多く見れば見るほど、なんとも言えない、胸の突き刺さるような思いがします。

この15年くらいは、母親の介護や面倒見などが、ボクの生活の中の比重を高めていたので、子供時代のことよりも、近年のことを思い出します。変な比喩になりますが、子供に死なれた親とか、ペットロスみたいな感覚に近いような気がします。今夜も夕食の支度をしながら、母親のいない夕食を作るのはつらいと感じていました。

生前、母親に「私が死んだら、今は嫌なことでも懐かしくなるから我慢しろ」と言われたことが何回かありますが、今は「懐かしい」なんてマイルドのレベルの気分じゃないですね。


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コメント

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