ここからちょっと離れたお店でレコード売りの売り子さんをしてて、ここからバス停を3つか4つ離れた場所に住んでいて、この道のもうちょっと奥に入った所にある鰻屋さんや魚屋さんや玉子屋さんなんかにお婆ちゃんから頼まれたお使い物に買い物に行っていて、ここからバス停4つか5つめ位の病院へ学校の休み時間に男子と喧嘩して怪我して先生から連れていかれた…。
同級生とは学校の行き帰りに
「テメーこのヤロー!ふざけんなよ!」
とか、
「アンタってゆーな、アンタは!」
とか、互いに通学路のスクールゾーンで罵声を浴びせ合うのが日課だった(それは学校の宿題より漢字の書き取りよりも百マス計算するよりももっとずっと大事で大切な日課だった)。
喧嘩相手の男子の名誉のために書いておくと、私の通っていたのが天下の名門みたいな馬鹿小学校だったから、私と男子とが喧嘩してたら『水入り』のつもりで外野の馬鹿が、私に水の代わりに校庭の砂を思いっきり投げ付けたんだった(結果、砂がたっぷりと目に入ってしまい連れていかれた先の病院の眼科で、生食水で洗浄の処置が行われた、その時には何かの罰かと思った)。
それで私のお行儀の良くなる筈が無かった当時のこと。
そうした街に育って大人になってから困ったのは、ちょっと頑張ってる小さな下町商店街の人達から評価を求められるような場面だった。
(私に何を言えってゆーんだ…)
って考えて困った。
クラブチッタからキロと離れていないレコード屋の昔々のバイト店員は、初めっからかなり口煩いに決まっていた。
夜歩きしちゃダメ!って言って叱るのは逆効果しか招かない真似だった。
日常普段の普段着はいつも何処へ行くにも『パシオスたわらや』で買った服ばかりだった。
今はもう水之江が無くなっているので、珈琲苑のホットケーキは御馳走だ。
さいか屋もなくなり大衆レストランの代わりはファミレスで済ませているが、季節のメニューはいつも楽しみにしている。
毎日のほほん。
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