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2017年12月10日23:26

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障害と差異

ここを長年ご覧になっている方には大変申し訳ないが、毎度のセリフから。

「私は発達障害者である」

この「障害」という言葉。
実に厄介なものだ。
まるで重い十字架を背負っているような気分になる言葉だ。
非科学的なことだが、「前世の因縁」とか「脳幹の能力低下」とかいろいろ言われ、それを信じる大人も実は結構多い。
そうでなくとも、大きな壁の前で途方に暮れると思われているかもしれない。

でも、それは本当だろうか?

螺旋階段で例えてみる。
普通の階段(健常者)は一定の高さ・幅があり次の階層へ上がることができる。
ところが、私たちの階段(発達障害者など)は高さがまちまちだったり足場が不安定だったり下手をすれば階段そのものがない。
それが個々の工夫で社会が求める速度で上がれればいいが(ここまでが俗に「個性」と呼ばれるもの)、板がない場合登ることすら困難になる。
急ごしらえで一見普通の階段にしても無理が出てくる。
そして、ついに転げ落ちてしまう。
発達障害などのリハビリは、転げ落ちてしまった人、または、その寸前の人がちゃんとした階段に出来るだけ近づけるようにする学び作り直す場所だ。
そして、ようやく作り直して登り始めても同世代などと比べれば明らかな差異があるが登り続ければ追いつける(かも知れない)。
確かに困難ではある。
状態(症状)によっては今まで作り上げてきた階段、これから駆け上がるはずだったを壊すこともあるからだ。
つまり、振り出しに戻されるのだ。

ここまで何か気が付いたことはないだろうか?
壁が出てこないことだ。
あくまでも、『差』だけがある。
埋めるには、もちろん、本人の努力なども必要になるが周囲の理解(家族のメンタルケアなどから社会的には公的控除、就労支援など)、投薬治療ももちろん必要だ。
でも、決して当事者と社会を隔てる壁ではない。
しかし、「障害」という言葉が大きな壁の様に立ちはだかっている。

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