mixiユーザー(id:687965)

2017年12月09日22:49

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ハクソー・リッジ

こんばんは。猫

 先日、この映画をレンタルで観ました。公開時に映画館で観たかったのですが、所用があって叶わなかったので、幸いでした。

 粗筋は、国のために兵役に志願したにもかかわらず、自らの宗教のために武器を持つことを拒否したことから同僚や上官から厳しい対応を受け、挙句の果てに命令違反のかどで軍法会議にかけられかけましたが、親のコネで救われ、結果として衛生兵として前線に出してもらえ沖縄戦で多くの将兵を持論の武器無しで救った、というものです。

 実話を基に作られたとのことなのですが、私は宗教の恐ろしさは感じました。何を信じるかは当然、各自の自由なのですが、それは、あくまでも社会の規範内と言うのが多くの日本人の感覚かと思います。しかし、主人公は、当時の社会から考えると明らかに外れているように感じます。実際、戦闘中に自らだけが武器を持たなかった場合、周りはそのために危険に晒されることが容易に想定出来ることから、上官も除隊するように何度も勧告している訳です。ですが、彼は自らの信じるところを貫き通した、と言えば聞こえがいいのですが、私から見れば自分の信念の押し売りにしか過ぎません。

 考えてみれば宗教と言うものはそのようなものかもしれません。それが度が過ぎると30年戦争や十字軍、そしてユグノー戦争のような宗教戦争につながる訳で、人を救うための宗教が多くの人を死に至らす、何とも皮肉な話ですが、この多くはキリスト、イスラム、ユダヤと言う同じ唯一神(ヤハウエ、エホバ、アッラー?)を信じる者で行われています。仏教ですら例は少ないですが、あります。まあ、現代の宗教である社会主義国や共産主義国でも似たようなものですが。

 古代ローマ帝国は、比較的、宗教に寛容な国でした。新しい国を征服した場合、そこの神をローマに運び、新たに神殿を建て、一種の人質(神質?)にしたのです。当然、征服した国の宗教を禁止することはありませんでした。しかし、一部の邪教や排他的な宗教に対しては別でした。キリスト教の場合、国への義務よりも自らの宗教を優先させました。それでも、五賢帝時代のような余裕のある時代はそれでも許容されたのですが、気象事情の変化や蛮族の侵入、そして内乱により国力が低下するとそうは言ってられません。当然、ディオクレティアヌス帝に代表される各皇帝に弾圧されます。これは、国家の為政者として当然のことです。この映画の歴史又は政治版みたいなものです。 

 そう考えると宗教というものは、葬式仏教が一番、安全なのかもしれませんね。

 写真は、昨年、行った日吉大社とその周辺の紅葉写真です。
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