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2017年12月06日07:28

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日本1125

■私立高の一部無償化、2020年度から実施へ 政府方針
(朝日新聞デジタル - 12月05日 09:19)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4889477
施しなのか???、喜捨なのか???。税金は、公平公正の原理を以て、扱われなくてはならない。高校教育は、義務教育なのか???問う・・・。
教育に金を支出する事は、比較的、庶民が喜ぶ行為では、ある・・・。そして、昔から、学業優秀者に限って・・・そのホドコシは、あった。
保育所、幼稚園・・・そして、義務教育と来たから次いでにという感がある・・・。為政者が考えて、施策しているとは、思えないのである。義務教育で、教え込むなら・・・それで良い。しかし、高校は自主的に自分が、学ぶ・・・育成すると言う方向ならば・・・という観点がある様に思われるが、社会がどうも、勘違いをしているのでは、ないか?と思う。
大学等は、あくまで、学ぶ主体性のある者の場である事は、確かな事であると思う。
教育の633制は・・・その表現に問題がある。義務教育は、63制なのである。
学ぶ気のある人に施す・・・という事。今や・・・私も古い人間になってしまったが・・・、新入社員を見ていると・・・大学で学んだキャリアをまるで、感じないのである。キャリアと敢て書く・・・(笑)。高校に於いても然り・・・、まるで、会社が育てている様な気がする。過って、上宮は、五常をその官職の位に設定したと言う・・・(笑)。
やはり、教育にも・・・絶対的ランクが必要となると思う・・・。義務教育での落第が無い・・・、登校しておれば・・・上がるという観念があるが・・・(笑)。
義務教育は、『鉄は熱い内に打て』との観点があったが・・・ゆとり教育というもので、子供の人権を重視する余り・・・打つ事を止めたのである、そうだから・・・教師も打つ事が出来なくなった・・・教師も教育上の打つという行為を忘れたのである。従って、パワーハラスメントとなる・・・(笑)。
教育と雖も・・・緊張感・・・程好くと記す。そういう観点が教育の場から無くなっているのでは、ないか???。教師を最早、聖職とは、呼べない社会が問題なのである。下手をすれば・・・教師が過労死している状況である。
抜本的に教育と育成を分けるべしと提案する。その教育期限を含めて・・・63制に拘る事が何処にある???そして、義務教育として、親が教師に丸投げにするならば・・・寄宿舎制も含めて、考え直せば良いし・・・全国の何処かの学校で、公的に試せば良いのである。それ位は、文科省が幾ら忙しいとは、言え・・・直接管理が出来るであろう???。そうい抜本的な施策・・・法案を出せるものがいないのか???とも思う。

仏教、そして、イスラムの観念に喜捨というものがある・・・喜んで、施すのである。
何も・・・やってやる・・・という観念では、無く・・・持てるものが喜んで、捨てるのである。何も金持ちだけの観念では、無い・・・、物質的なホドコシもあるなら、精神的なホドコシもある・・・、所謂、奉仕の精神である。過って、この奉仕という言葉は、天皇に対して・・・よく使われたが、民主主義の世・・・今は、庶民に使われるべきなのである。仏教では・・・否、法華経に・・・詳しくは、法華義疏に四表八度が解説されている。その中に喜捨がある・・・(笑)。
昔・・・否、今もあるが・・・イスラムの国・・・そしてヒンドゥーの国では、その喜捨が日常生活でも確認出来るのである。
そういう基本的なその社会での育成なのである・・・私は、西欧式を導入して、粗、米国を手本にした教育感をこの際、見直すべきだとも思う。世の中は、国防・・・所謂、日本では、自衛となるが・・・この観点で、無償化への転向も当然、追加されてくるとも思う・・・政治家の腹黒さが伺えるのである。世界の国防という観点からの教育に於いては、然りなのである事も併せて紹介する・・・が、そういう国も多いのである。
自衛、国防にその視点を合わせるならば、ある程度の自衛、国防教育は、必要な事であるから・・・・(笑)。
20歳・・・18歳になるかもわからない、大人への年齢割法案がある事も事実である。
その子供の内に、本当の人間として生きる法を教える・・・事。自ら、学ぶという観点は、この際、捨てて・・・その課程を培う必要性があるのでは、ないかとも思う。
幸い、日本には、ボーイスカウトと言う手本がある・・・。今は、大分、衰退している様に思うが・・・そのシステムがある内に・・・研究をしておく事が、文科省の課題でもあると思う。但し・・・そうだからと言って、平和憲法の精神は、忘れるべきでは、無いと思う。この9条は標語なのだが・・・帝国憲法とは、明らかに違う・・・戦後の日本人の精神と言っても・・・そうしても良い、標語だと思うから・・・。

しかし、これだけ、不穏な動きが・・・自然災害も含めて・・・そういうものが起こっている事に対して・・・、そういう備品の使い方さえ知らないのが問題だとも考えている。備品と敢て書く・・・、銃なのかもしれない世の中になっているのかもしれないのである。そういう武器を庶民に持たせない事も大切なのは、よく分かるが・・・持たないものに本当の危険性が理解出来ているのか???も疑問である。これが、危険だとするのも教育・・・所謂、押付けの学を学ばせるには、その危険性を身を以て教える事、しかし、その基礎には、9条が必要であると思う・・・という事である。

確かに戦争程、悲惨なものは、ないのであるが・・・・それを実体験した人が、益々、日本から、消えていこうとしているのである。
想像の学・・・所謂、教えに依る処無く・・・皆に経験させる事、これこそ、真の教育という事になろうか???とも思う。
仏教の大乗という観念は・・・一部の知識人、権力者にのみ・・・あるものでは、無く・・・開かれた・・・という概念を大切にするのである。
大乗・・・こそ、言い換えれば、民主主義の概念なのかもしれないのである。

西欧式近代化・・・それも米国だけを見る事無く・・・学べるものは、全ての国・・・世界から導入する・・・という、素晴らしき、感覚が日本人には、ある・・・最早、DNAになって隠れているのかもしれないが・・・(笑)。

そういう冒険心を発動し・・・そして、それを以て、世界平和に貢献できる日本を目指したいものである・・・、私事になるが・・・その為に今、或る、無料のセミナーのお手伝いをさせて頂いている・・・・(笑) ペンギン

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