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2017年12月04日05:43

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12月4日

1か月前にニューヨークを出航したメアリー・セレスト号が、ポルトガル沖で無人で漂流しているのが発見される:1872年のこの日。メアリー・セレスト(Mary Celeste)は、1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船である。
メアリー・セレストは、全長103フィート(約31メートル)、282トンのブリガンティン(2本マストの帆船)である。もともとは1861年、ノバスコシアのスペンサー島で「アマゾン」の船名で建造された。その時からいわく付きだったようであり、建造中におびただしい数の事故が発生したとも伝えられるが、真相は明らかではない。アマゾンは数回にわたって所有者が変わり、1869年にメアリー・セレストと改称された。1872年11月7日、船長ベンジャミン・ブリッグズの指揮下、メアリー・セレストはニューヨークのメッシナ・アッカーマン&コインから出荷された工業用アルコール(おそらくメタノール)を積み、ニューヨークからイタリア王国のジェノヴァへ向けて出航した。船には船員7人のほか、ブリッグズとその妻サラ・E・ブリッグズ、娘ソフィア・マチルダの計10人が乗っていた。1872年12月4日(19世紀は標準時の制定前であるため、12月5日であったともいわれる)、メアリー・セレストは、カナダ船籍のデイ・グラツィア(ラテン語:神の恩寵)にアゾレス諸島の近くで発見された。デイ・グラツィアはメアリー・セレストの7日後にニューヨーク港を出港した船で、その船長モアハウスはブリッグズと親しい友人であり、出港前に会食している。このことは、船長二人の共謀による詐欺疑惑を招いた。デイ・グラツィアの乗組員は2時間ほどメアリー・セレストを観察し、「遭難信号を掲げていないがおそらく漂流中なのだろう」と判断した。実際に乗り込んで確かめるべく、一等航海士オリヴァー・デヴォーは小さなボート数隻を率い、メアリー・セレストに向かった。デヴォーは「船全体がびしょ濡れだ」と報告した。ポンプは一基を除いて操作不能であり、デッキは水浸しで船倉は3フィート半(約1.1メートル)にわたって浸水していたという。船は他の点では良好な状態であるように思われたが誰も乗っていなかった。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、アマゾン(1861年)。後にメアリー・セレストに改称される。
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