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2017年12月02日08:43

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日馬富士の引退について

書くのが久しぶり過ぎて本当にアレなのだが……生きてます。
何かどうしても書いておきたくなったんで。

例の日馬富士問題だが、大相撲ファンとして個人的にはこんな結末を迎えてしまったことが本当に惜しまれてならない。
『暴力はいけない』というのは正論であり、異論のつけようもないのだが……しかし、それでも敢えて言いたいのだ。それは本当に正しいのか、と。
ケース・バイ・ケースというものではないだろうか。
たとえば日馬富士の暴力行為が貴ノ岩への敵意などによる、いわばイジメ的な発想からくるのであればそれは悪と言ってもいいと思う。
けれど日馬富士の真意はそうではなかったと思うし……まぁ、そう思いたいだけかもしれないが、それでも日馬富士の言葉をそのまま信じるのならば、あれは指導の一環、ということになる。
その中における暴力行為というものが果たして許されるのかと言えばそれは許されるわけではないのだが、しかしそれは互いがそれを「これぐらいはあるだろう」と許容している場合はその限りではないと思うのだ。
何より角界は一般社会とは違う。
独自の文化を形成している、いわば独立国家のような存在ともいえる。
近年、角界の不祥事が相次いだことから角界が伝統とかしきたりとかしてきたことが何とはなしに社会から「NO!」と突きつけられて改革を迫られたりしていたが、少なくとも力士になろうと思って入門してくる人間は、ある程度のことは理解した上で入ってきている。
本人たちが受け入れているのに、周囲の普段は相撲なんぞに興味のない人間がああだこうだと批判をする。
この状況が個人的には気に入らない。
将棋の藤井プロについてもそうだが、少しくらい将棋のことを学んでから語れ、と思うのであります。

閑話休題。

結果的に日馬富士は引退し、この問題はこれで終わり、といったことにはなるだろう。
しかしそうではないと自分は思っている。
真相が明らかにされていないから、などということではまったくない。日馬富士が引退を表明してしまったことで今後、真相が明らかにされようがされまいがもうこの結果が動くことはないからだ。
やはり日馬富士は悪くなかった、などということに仮になったとしても現役復帰するという可能性はかなり低いと思う。
むしろ問題なのは相撲協会にまるで協力する気のない貴乃花部屋にある。
まぁ、確かにこの問題を協会に任せたら事件がうやむやに終わった可能性はある。大事な弟子に怪我を負わされて貴乃花としても黙っているわけにはいかない、という部分も間違いなくあっただろう。
それでも事態が明るみに出てから今に至るまで貴乃花には協会に歩み寄るという意思がまるで見られない。
それは同じ相撲界で生きる者として本当に正しいと思っているのか。
しかも日馬富士が引退したことにより、一方的に相手に非を押しつけてしまった。来場所かその次の場所辺りで貴ノ岩は復帰してくると思うが、本人的にも今後が極めてやりにくくなった、と思えてならない。
結果として日馬富士を引退に追い込んだのは貴ノ岩であると思われても仕方のない部分もあるからだ。
多かれ少なかれ罪悪感もあるだろう。
今後、頑張って相撲をとりつづける、ということはもう出来ないのではないかと個人的には思うし、モチベーションも上がりにくいに違いない。
持論になるが、物事において自分だけは絶対に悪くない、なんてことはありえない、と思っている。
そこに関わっているのなら自分も悪かったし相手も悪かった。その比率に差こそあれ、自分にだけは非がまったくない、などということはまずないのだ。
だからこそ人は反省するのだし、それを次に活かすことも出来る。
昔から喧嘩両成敗というではないか。
物事を上手く収めるにはこれがもっとも重要なことであることは、この言葉がいまだに生き続けていることからも証明出来る。
相手に責任を押しつけてしまえば、因縁は残る。本人たちの知らぬところで恨みを買っている場合もあるだろう。ゆえに両成敗なのだ。どっちも悪かった。お互いに謝って、これからは仲良くしましょう、というのがイチバン良い方法なのである。


……なのだが、この観点が貴乃花にはまったくもって欠けていた。
彼自身、協会に不満もあるのだろうが、信頼関係を築こうと少しでも動いたのだろうか。自分の言葉を信じてもらえるように努力したのだろうか。
それ無くして相手を悪と断ずることなどは出来ない。
ろくに動くこともなく働きかけることもなく、それでも相手を悪とするのなら、それは自分の努力不足を言いふらすようなものだと自分としては思うのだ。

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