「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【958】2017/12/1(金) 小事に忠実に生きる」
http://9001.teacup.com/sfk/bbs/18266 (写真入り記事)
昨日は、「苦難にある者たちの告白」−ある患者の詩−を分かち合いました。
大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
(作者不明)
この詩の「大事を成そうとして、」で始まるところが好きです。
若い頃の私は、夢が多く、「世界を変えたい」などの「大事をしたい」と心燃やしていました。
しかし、願った通りには成りませんでしたが、神様が私に与えられた使命を夢見、大志を抱きながら生きています。
与えられた仕事を忠実に行うことで、神様は、忠実さを認め、少しずつステップアップして大事を任せて下さっています。
「こんな小事はつまらない。私はもっと偉大な人間なのだから、もっとちゃんとした仕事をしたい!」と思い上がってしまったとしたら、神様は信頼して下さらないと思います。
私は、神様に信頼して頂ける様な人になりたいと思って来ました。
だから、人に認められなくても、人にわからないことでも気にしないで、すべてを知って、見ていて下さる神様の御前で仕事をして来ました。
人の評価は変わりやすく、偏っています。
私を、評価して下さる人もいますが、そうでない人もいます。その評価に一喜一憂していたとしたら、疲れてしまうし、表面だけを繕うようなずるく、偽善的な人間になってしまいます。
神様は生きておられ、私の心の悲しみやうめきさえも知っておられます。
だから、人から認められなくても、純粋な動機を持って、神様に喜んで頂ければ良いと思っています。
そうしたら、心が自由になりました。
小事に忠実に生きたら、神様が大事をも任せて下さるようになりますし、承認欲求を人から満たしてもらわなくても、神様が満たして下さるのです。
心は喜びで溢れています。
さらに、小事を忠実に行うことで、数多くのスキルアップをすることができ、キャリアを積んでくることができました。
しかし、それは、世の中の人がわかるスキルやキャリアでなくて良いのです。
今日も、私は、神様との関係の中で生きていきたいと思います。
この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
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