アンデス展に行って
増田先生が亡くなってること、初めて知った
普通の人はしらないだろうが
その時の記事・・
東大名誉教授の増田義郎さん死去 文化人類学者
2016年11月9日00時20分
朝日新聞デジタル
増田義郎さん(ますだ・よしお=東京大名誉教授、本名増田昭三〈ますだ・しょうぞう〉)が5日、心不全で死去、88歳。葬儀は近親者で行い、後日しのぶ会を開く予定。
文化人類学者で専門は中南米文化史。著書に「新世界のユートピア」「黄金の世界史」などがある。
ウキにも増田 義郎(ますだ よしお、本名・増田 昭三、1928年2月17日 - 2016年11月5日[1])は、日本の文化人類学者、歴史学者(ラテンアメリカ文化史)。東京大学名誉教授。東京生まれ。従四位
元は英文学を専攻していたが、1950年代後半からは、日本におけるラテンアメリカ史の開拓研究者となり、インカ帝国、マヤ文明のほか、大航海時代(命名者でもある)や海賊などについて厖大な数の著作と翻訳がある。また自身イベリア半島やラテンアメリカ圏に、調査紀行を多くしている。
自分の専攻は西洋史
卒論は、スペインのメキシコ征服
アステカ文明の発展、スペインの征服、そしてその後
がテーマだった・・
その時、増田先生の本には大変お世話になった・・
そのまま、引用して、
ページを稼ぎ、最後に数行、自分の意見、考察を述べる、パターンだ
はっきりいって、小保方女史のコピペ論文のようなものだったけど・・
先生の引用と、地図でなんとか800字×100枚を埋めた気がする・・
90数枚だったが、
自分によっては
ゼミの木崎先生
木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - )は、日本の西洋史学者、立正大学名誉教授。日露交渉史を研究した。
大阪府守口市生まれ。召集をへて、京都大学西洋史学科卒。1964年、「「ルーシ」という語の意味に関する歴史的一考察 」で京大文学博士。1951年、鹿児島大学文理学部助教授。1965年、教養部教授、のち1971年に教養部長。1976年、立正大学教授。1995年、定年退任、名誉教授。
よりも、会ったことはない、増田先生のほうが、先生だ・・
木崎先生には『小林?あいつは考古学だろう!なんで西洋史なんだ』と言われたくらい
最初は、自分も考古学でうちの大学に来たが
なんか、考古学専攻のやつら・・いまいち、気があわず、
おまけに、考古学といっても、遺跡発掘・・日本・・・
自分は、文明学をやりたかったので、
西洋史専攻
アステカ文明を中心に
なぜ、コルテス以下の少数のスペイン人に征服されたか
その後の宗教・・
をやったわけだが・・
だから俺にとっては、自分の専攻に近くて
一番当時有名な先生が増田先生だった・・・
授業聞きたかった・・
千葉大のあと、亜細亜でやってたんだ・・知らなかった・・
で、そんな、増田先生をはじめて知ったのが
アニメ・・なんだよね・・
NHKでやった
『太陽の子、エステバン』
http://pierrot.jp/archives/tv_list_1980/tv_004.html
子供の時から、古代文明は好きだし・・
中学、高校時代は、毎月『ムー』を読んでたし
自分自身、その当時から、太陽の子と言っていたんで・・
これは見るでしょう・・
このアニメの監修をたしか、増田先生がやっていたと思う・・
確か、それで増田先生のことを知ったと思うが・・
だから、この時間のNHKアニメ
ふしぎの海のナディア、これ監督が庵野のため
けっこう人気があるが
その8年くらい前の、アニメ『太陽の子エステバン』の方が好きだな・・
もちろん、ナディアみたけどね・・
ログインしてコメントを確認・投稿する