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2017年11月20日14:48

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2017.11.19 中江有里さんトークイベント&サイン会

審査員には香取慎吾も!レジェンド参加のアスリート社会貢献プロジェクト始動
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=62&from=diary&id=4837126

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 「中江有里」で検索を掛けたら、最近のものではこのニュースしかヒットしなかった。でも本当にいろいろやってるなあという印象である。
 中江有里と聞けばイメージするのは「文学少女」であって(というお年でもないが、いつまでもお若いので)、スポーツとは無関係のように感じる人も多いと思う。トークでも、「元々体育が一番苦手」と仰っていた。
 それがなぜアスリートを表彰する審査員に? というのは中江有里ファンでも疑問に感じるところだ。けれどもその解答も、トークの中で語られていた。
 体育が嫌いな中江さん、当然の如く「水泳」もダメだった。全く泳げない彼女に先生が言った一言は「息継ぎをしなさい」。顔を上げたときに息を吸い、顔を水につけたら息を吐く。両方を顔を上げたときにやってはダメだ。実際にその通りにしたら、泳げるようになったのである。
 「知らないことを知ることで何かができるようになる。それを一番苦手だった『体育』で学習しました」。
 それが中江さんが導き出した結論だった。
 これからアスリートとしての道を歩もうとしている選手たちを応援する審査員。中江さんがその役目を引き受けたのも、そうした自身の経験が元になっているのだろう。

 11月19日(日)、西南学院大学のキャンパスは、4日間続く大学祭の最終日で賑わっていた。
 と言っても、それは本館や図書館がある西側キャンパスの方で、体育館や学生食堂のある東キャンパスの方は学祭の展示はなく、人の流れは殆どない。
 中江有里さんのトークイベントは、食堂の更に奥にある旧校舎を再利用した博物館の二階ホールで行われることになっていた。これは毎年行われている福岡の本の祭・BOOKUOKAのラスト・イベントで、学祭とは無関係。ボランティアらしいスタッフも、書店の方が混じっているようだった。
 博物館の外観は「蔦の絡まるチャペルで祈りを捧げた日」という表現そのままのイメージで、実際にホール内にはパイプオルガンも置かれている。つか、何年か前にもやはりBOOKOKAのイベントで来たことあったのを思い出した(笑)。
 一階では特別展「キリスト教の祈りと芸術 装飾写本から聖画像まで」が1月29日(月)まで開催されている。入場無料なので、こちらもイベント後に覗いてみた。いかにも西南学院大学らしい展示会で、古い聖書や絵画の実物でキリスト教の歴史を俯瞰できる仕組みになっている。実物ということでは、教徒が実際に身に付けていたマントルやエンブレムもあって、ごちゃごちゃ刺繍されている装飾がいかにも重そうである。映画などに出てくる宣教師に、マントをなびかせて歩くイメージがあまりないのはマントが重かったからなのかもしれない(笑)。
 一番「おお!」と唸ったのは、奥まった部屋の片隅に「魔境」が設置されていたことだった。ご承知の方も多かろうが、一見、つるつるに見える鏡の表面に光を当てると、微妙な凹凸に反射して、壁に聖像が浮かび上がるというやつである。展示物はスイッチで光が当てられるようになっていて、その映像も見ることができる。これも「奇跡」だと言って、神父たちは信徒を騙していたのだね。キリスト教の歴史は詐欺の歴史でもある(苦笑)。
 中江有里さんもこの展示をご覧になって、「知らないことを知ることができて嬉しい」と仰っていた。プログラムは千円。買うと西南学院大学のトートバックを付けてくれて、普通の紙袋やビニール袋よりもお得感がある。お暇な方は元寇防塁跡ということでは一緒にお楽しみ下さい。

 体育の件でも、博物館の件でも察せられる通り、この「知らないことを知る楽しみ」というのは、中江さんの人生の指針にもなっているようだ。「人生の節目節目で、これを知りたい、これをやりたいというものが生まれる」と中江さんは仰る。
 中江さんは女優であると同時に脚本家でもあるので、俳優さんからこんな質問を受けることもある。「台本のこの漢字、何て読むんですか?」。
「知らないことを聞くことは決して恥ずかしいことじゃないんです。でも台本は撮影の一週間前にはお渡ししてるんです。世の中には辞書というものがあるんですから、なぜ自分で調べようとしないのかと。知りたいことを知ろうとする気持ちはないのか」。

 トークイベントは西南大の教授の司会で、初めは中江さんと博多との関わりを質問する形で始められた。皆さんご承知の通り、彼女はNHK朝のTV小説、長谷川法世『博多っ子純情』を原案とした『走らんか!』のヒロインを務められている。
 ドラマの重要な要素として、主人公が山笠の人形師を目指しているという設定がある。ところが、中江さんは、撮影で博多に一ヶ月ほど滞在していた時期がずれていて、山笠を見たことが一度もなかったという。実際に生の山笠を見たのはかなり後年になって、イベントで招かれた時だったとか。ドラマ撮影ではよくある話である。
 中江さんにとって、博多との縁はむしろ子供時代にあった。親戚のおばさん夫婦が博多在住で、大阪出身の中江さんは、夏休みになるとひと月まるまる博多に遊びに来ていたそうだ。
 大阪のど真ん中だと、街はごちゃごちゃしているばかりで子供の遊び場なんてどこにもない。ところが博多には山も海もすぐ近くにある。おばさん夫婦が転勤してしまう小学校四年生まで、毎年夏休みになるたび、博多に来るのが楽しみでしかたがなかったという。

 その頃はきっと、中江さんのご両親も仲睦まじかったのだろう。

 トークは、中江さんの新刊著書『わたしの本棚』を紹介する形で続く。
 中江さんの読書歴を綴ったエッセイだが、これは実質、彼女の「自伝」である。
 最初に紹介されるのはエクトル・マローの『家なき子』。彼女の両親が離婚する小学四年生、ちょうどその頃に、図書館の片隅にあった古びたその本を手に取った。「屋根のない家、壁のない家」に住んでいると感じていた中江さんは、母を求めて苦難の旅をする主人公のレミに自分を重ねた。中江さんと本との関わりはここから始まっている。

 中江さんの代表作に『学校』がある。
 山田洋次監督のあの映画は定時制高校を舞台にしていた。定時制は、元々は経済的な理由で昼間働かなければならない生徒のために設立されたものである。高校で芸能界デビューしていた中江さんも、一時期、実際に東京の定時制に通っていた。しかしその当時は勤労学生よりも不登校で定時制に転校してきた生徒の方が多い時代だった(今はまた相対的貧困家庭の増加で、昭和の頃ほどではないが勤労学生が戻ってきている)。
 そこに中江さんはどうにも馴染めなかった。結果、彼女はその当時唯一だった単位制高校に転校する。そこでも彼女はクラスメートから「なぜあの人、学校に来てるの?」という目で見られて孤立してしまう。けれども幸いなことに、ひとりぼっちで食事をしているところに「一人なの? 一緒に食べない?」と声をかけてくれた女の子がいた。孤独でも平気だと思っていた中江さんは、涙を流しそうになった。本当は、こんなに辛かったのだという自分に気がついた。
 後でその子に聞くと、彼女はTVを見ないので、そこにいる「中江有里」が女優だとは知らなかったのである。今でもその子は中江さんの親友なのだとか。
 あれやこれやの事情で、中江さんは結局高校は4度転校、5年の歳月を掛けている。大学進学は諦めざるを得なかった。

 大学に行きたいという欲求が生まれたのは芸能生活も20年が経った30代後半に入ってから。『週間ブックレビュー』のレギュラーを務めるうちに、自身の知識の貧弱さに、このままではマズイと感じて、受験を決心したそうだ。
 仕事をしながら学習できる大学となると通信制しかない。中江さんが選んだ大学は、法政大学文学部日本文学科の通信制だった。
 彼女の人生の節目節目で訪れる選択肢は、いつだって「これしかない」ものであって、そこに決意とか努力とか、そういったものは介在していないかのように仰るが、それは謙遜というものだろう。30代を過ぎてなお学業に志す人は決して多くはない。
 「困ったのは、通信制って、基本的に先生に会わないんですよ。だから頼りになるのは本当に『本』だけで。ひたすら本と向き合うしかありませんでした」。
 これもまた、仕方がなかったという消極的な姿勢であるように見せかけているが、本が好きで好きで堪らなければ決して出て来ない発言である。中江さんは信じられないと仰るだろうが、世間では、活字本なんてろくに読んだことがない大人の方が多いのだ。

 中江さんは、卒論のテーマに北條民雄を選ぶ。
 初めは川端康成をテーマに書くつもりが、川端ほどの有名作家ともなると、作品数も批評他の資料も膨大である。もっと手軽な作家はいないかと(笑)、ネットを検索しているうちに出会ったのが、名前を聞いたこともない北條民雄だった。
 偶然にも北條は川端が見出だした作家だった。そしてハンセン病患者であって、そのために終生差別を受け続けた人間でもあった。
 彼が自身の入院体験を元に執筆した私小説
『いのちの初夜』を中心にして、中江さんは卒論を完成させる。それは世間から身を隠さざるを得なかった北條民雄に、そしてその家族にも光を当てる作業でもあった。
 中江さんの差別を許さない姿勢、そして本との関わりは、こうして深化していく。

 正味二時間のトークの内容を全て紹介することはとても無理なので、後はかいつまんで書くしかない。
 多くの赤川次郎作品の映画に出演しているイメージのある中江さんだが、彼女の書く文体もまた、赤川次郎の影響を強く受けているそうである。曰く、「赤川次郎は無駄なことを一切書かない」。中江さんの文章も極めて簡潔でリズミカルだが、それは赤川次郎が身に染み付いてあるからであると。
 『週間ブックレビュー』で長く一緒に過ごした俳優の大先輩、児玉清さん。彼はもちろんスターなのだけれど、世間が見た俳優としての評価は必ずしも高いものばかりではない。そのことを児玉さん自身も感じていたのだろう。児玉さんには著書が多数あるが、中でも『負けるのは美しく』が児玉さんの志向する美学であったと中江さんは指摘する。
そして、そんな児玉さんが、自分にとっての「灯台」であったと。どこに進めばいいか迷うときには、いつだって児玉さんがそこにいて、進むべき道を照らしてくれていたと。
 そしてそれは今も変わらないと。

 マルチに活躍していると評価される中江さんだが。ご本人は、やりたいことをやっているうちに、自然とこうなった、とこれまた謙遜される。
 脚本を書きたい、小説を書きたいという欲求が、彼女を脚本家にし、小説家にした。そこにはいつも「知らないことを知りたい」という欲求があった。そしてそれを実現してくれたのが「本」だった。
 だから逆に中江さんには「本を読まない」人の存在が信じられない。本を読めば、そこに「答え」は用意されているのに。

 トークが終了した後、質疑応答の時間があったので手を挙げた。
 「今、文学は沈滞していると思いますが、それは表現規制も原因になっていると思います。それについてご意見をお聞かせください」
 中江さんは「難しい質問ですね」と仰って、少し苦笑された。

 「SNSのような短いやり取りに慣れてしまっていることが、人を傷つける原因になっているように感じています。そのために規制をしなければならないという話になる。私自身は作品を書いていて何かを言われても上手く誤魔化しているので、そんなに困ったことはありませんでした。でもTVのコメンテーターをしていて、原稿用紙5枚分の内容を1分で喋ってくれと言われて『できるかあっ!』って思ったことは何度もあります。短い言葉というのは必ず誤解を生むんですよ。誰かを傷つけることもあります。でもそれは仕方のないことで、それを引き受けなければならない。でも逆に誰かが私を本当に傷つけようとした時には、私は戦います。答えになっているかどうか分かりませんが、これでいいですか?」

 文句のあるはずがない。
 これまでのご発言から、そのような回答があるだろうと予測していたからこそお伺いした質問だっのだから。

 他の方の質問で「四字熟語や格言などで好きな言葉は何ですか?」というものがあった。
 中江さんのお答えは「何でやねん」。
 「大阪弁で『何でやねん』って言うと、キツいツッコミのように思われることお多いんですが、優しい言い方で『何でやねん』ってん言うこともできるんです。そこか好きです」
 考えてみれば、共通語、東京弁で「何でやねん」に該当する表現はない。逐語訳して「なぜなのだ」「何でだよ」としてみても、それはツッコミには使えない。博多弁も同様で「なしてなん?」と言ったとしても、それはただの疑問であるし、やはり相手がおかしなことを言った時に使う言葉ではないのである。
 「何でやねん文化」が大阪には根付いていて、世の中のさまざまな問題に対して優しくツッコミを入れる中江さんの生きる姿勢の象徴となっているのである。

 コメンテーターをしている中江さんの姿勢はいつだって真摯である。そして論理的であろうとしている。
 それは、孤独だった彼女が、「本との関わり」を通じて、「人との関わり」も志向してきた証左だ。
 最後に中江さんは、そのことを強調されたが、私はその時、生前のマイケル・ジャクソンも同じ事を発言していたなということを思い出していた。
 実は読書家であった彼が残した言葉は以下の通り。
 「僕は読書が大好きだ。もっと多くの人に本を読むようアドバイスしたい。本の中には、まったく新しい世界が広がっているんだよ。
 旅行に行く余裕がなくても、本を読めば心の中で旅することができる。本の世界では、何でも見たいものをみて、どこでも行きたいところに行ける。本の中には世界がある」。
 世界に触れよう。そこにあるものは、常に未知の、我々を遥か彼方の地平に誘う新しい道なのである。

 トークの後に、中江さんのサイン会も催された。実は参加をメールで申し込んだ際に、ぜひ書籍の販売とサイン会を開いてくださいとお願いを書いていたのだが、願いが叶った♪
 会場で『ホンのひととき 終わらない読書』(PHP文芸文庫)、『わたしの本棚』(PHP)の2冊を販売していたのでどちらも購入。それ以外に、手持ちのDVD『ふたり デラックス版』を持って行っていた。もしも販売が無かった時には、これにサインしてもらおうという算段である。説明するまでもないが、赤川次郎映画化作品の最高傑作にして、中江さんの映画デビュー作でもある。主演の「ふたり」は石田ひかりと中嶋朋子だが、私には前野万里子役の中江さんもまた輝いていると感じられていた。大林宣彦監督の「新・尾道三部作」の第一作で、これから中江さんは大林組の一員として、出演を重ねていくことになる。
 中江さんはDVDをご覧になると、「おー!」と歓声を上げられた。トークでもスタッフ・キャストのみんなで記念写真を撮られたこと、撮影現場に訪れた赤川次郎さんが、何年後かに再会した時に、中江さんのことをちゃんと覚えていて、その時の写真を持ってきてくれたことを、忘れられない想い出として語られていた。
 中江さんに喜んで貰えたのなら幸いである。彼女の方から握手を求められて、慌てて右手で持っていた杖を左手に持ち替えて手を差しのべた。軽く握ったその手は、小さく、それでもほんのりと暖かだった。
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