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2017年11月20日06:12

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兄と一緒に墓参り2017

昨日朝のNHK「演芸図鑑」を観ていたら上方落語家の笑福亭松喬師匠という噺家さんが「初天神」を掛けていた。上方落語でこの演目を聴くのは初めてであったがやはり面白かった。噺に登場するチビ息子が江戸前では金坊というのに対して上方ではとらちゃんと言っておりおそらく寅の字ではないかと思うが、ひょっとするとそこはそれ阪神ファンの多い上方であるので虎ちゃんかもしれないがいずれ上方ならではの味付けにほほうと思った。

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たまに聴く上方落語はいつも新鮮な気がするのはなぜであろうか。全般に鮮度の良さを感じるからではありますまいか。

沖縄駐留の若い米軍兵士がかなりの酒気帯びで車を暴走させた挙句衝突事故を起こして県民男性を死なせてしまったと今朝のニュースで知り、ああまたかと思いたいへん腹が立ったのと同時にこの先の沖縄県民の皆さんの不遇を懸念した。

この事故に起因して米軍内では飲酒禁止と外出禁止の命令が出たとあった。
ただでさえ抑圧厳しい軍務のストレスを抱えて兵士たちは禁止令に耐えきれずまたも重罪を起こすのではないかと心配する由だ。
まこと沖縄の皆さんの怒り悲しみそして恐怖と懸念は膨らむ一方で気の毒に思う。
僕に独裁が許されるのであれば飲酒事故を起こした米兵を丸裸にして平壌の広場に投げ捨ててやりたいところであるがどうか。それでも沖縄の皆さんの気は治まらないよなあ(T_T)。

晴天ながら気温は師走下旬並みの寒さとあった昨日、大阪赴任から実家に帰省している兄宅に行き家族総出で久々に再会した。年の瀬であるので我が家の皆で兄を表敬訪問しつつ一緒に墓参りに行く運びとしたのであった。

チビ達が兄と再会するのは晩春以来であるからおよそ半年近く前だ。次女ともみの急成長ぶりに兄は眼を剥き驚いていた。長女めぐちゃんがゆっくりな分よけいにともちゃんの成長が早くみえるようだ。そのことを気にもせずチビ達は仏壇のお鈴を鳴らすのが楽しくていつまでもりんりんちんちんと叩いておりちんどん屋のようであった。

兄と我が家の五人で市内の公園墓地に出向き祖父母父母たちが眠るお墓を掃除して花と線香を供えて墓前に挨拶した。ともみの七五三を無事終えたことのお礼を祈った。
僕の墓参りはほぼ隔月であり墓地が近いにかかわらずその程度の頻度なのでまあ親不孝の罰当たりなのであるがいちおう些細な理由があり父方の従姉従兄たちが時折墓地に出向いてくれるからだ。幾度か献花がバッティングしたことがあるので兄と相談して隔月くらいで良いのではないかと勝手に決めている次第だ。

とはいえ兄同伴で我が家総出の墓参りも今年でこれが二度目でありこれは兄が大阪在勤につきなかなか予定を合わすのが難しいことにある。親が亡くなってからの親孝行もなかなか難しいものなのだ。

墓石に水やりをしていたらチビ達がわたしもやりたいとなったのでやらせてあげたところ、ともちゃんが灯している線香にモロに水をばしゃんとぶっかけたために線香の火が鎮火してしまった。それ見て兄は腹抱えて笑ってしまいつられて僕らも大笑いしてしまった。まったく親不孝な息子たちに墓下のご先祖たちも呆れているに相違ない。

お詣りを済ませた後場所を替えて皆で昼食とした。場所は横浜のラスベガスと称される京急線の要駅のある上大岡である。十数年前に駅ビルを中心に大々的な再開発を成し遂げたこの地はあれ以来ますますラスベガス度がアップしており市内でも異彩を放つ街である。
その駅裏手に美味しい中華料理屋があるというのでチビ達抱える僕らにはちと不安であったが兄の誘いのままに入店した。

明朗価格なランチを土日も提供している比較的リーズナブルなお店であり料理の味は本格風に押し出しが利いておりたいへん美味しい品々であった。
兄お奨めの海鮮焼きそばと玉子焼きの他に茄子豚辛炒めに棒棒鶏に青菜炒めにきゅうりのにんにくソース和えなどを食べた。

ふだん好んで食べる大手ファミレスのバーミヤンの甘目の味つけとは違った塩味と辛みの効いた大陸風味はここのとこチビ達に合わせて甘い食事に慣れている僕ら夫婦にはとても刺激的で新鮮であった。
ちなみにチビ達にはワンタン麺と海鮮焼きそばをあてがった。彼女たちにも美味しい様子であり、なにより久々の外食それもファミレスとは一線を画したお店であることが楽しい様子でなによりであった。

中華街にまでわざわざ出向くまでもなく明朗会計で美味しく味わえるこのお店は地元でも重宝されているようでランチタイム時は満席の賑わいであった。いい店を教えてもらった。兄ちゃんありがとう、そしてご馳走さまでした。

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食べかけで失礼ながら海鮮焼きそばと玉子焼きです。
家内がチビ達のおむつ替えを休憩室で交互に行っている間にお店の女性店員おそらくママさんと話す機会があり同店の特長などを聞くことができて有意義だった。
聞けばこのお店の一番人気は餃子であったという。何度かお店を利用している兄はまったく知らなかったとあり兄の相変わらずの粗忽さに腹の中でひとり笑った。
ちなみに昨夜の我が家の夕飯が餃子であった。お店での餃子はまたの機会ということにした。

お店を出て兄と別れた。おそらく昨日が年内最後の出会いであったことになろう。
後は歳末にもう一度僕が単独でお墓詣りをして兄宅に年始用のお雑煮冷凍セットやらを冷蔵庫の冷凍室に忍ばせて今年は終いである。

兄から相談があり大阪で使っているテレビを要らないかということであった。
我が家では設置場所がないので固辞したのであるが、かような発言からして兄はぼちぼち大阪から撤退するのであろうか。そも助っ人業での大阪転勤と聞いているのでそう長くならないはずがもう一年半経過している。やはり家長である兄には実家にいて欲しいというのが無責任弟の願いである。

もう師走も近い。ぼちぼち今年の残り事にもケリをつけないとね。あ、年賀状のデッサンがまだだった(>_<)。ちと急ぎましょう。絵筆無精のこの頃です。
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