夕休みです。
私は、お分かりのように、コツコツやるというより、爆発系ですからね。
岡本太郎さん、あぁ、万博の太陽の塔を作った爆発おじさんですね。
あんなところがありますね。
まぁ、私の話は、しょっちゅう飛びますし、しばらく、どこかへ行って帰って来ないですからね。
かなり似ているのは、シューベルトかもしれないですね。
シューベルトは、曲の途中で、どこかに行ってしまい、デモーニッシュな凄さをみせて、しばらくして、元に戻って来たり、とても、創造の泉の噴出量が多い人でしたね。
売れないことは、シューベルトは、たいしたものでして、ゴッホとシューベルトは、全く売れなかったですからね。
ゴッホは、生前、描いた絵は、1枚しか売れなかったですからね。
モデルになった誰かが、自分の絵を、安く買ったのかなぁ。
弟のテオのお世話になっていました。
不思議なのは、テオは、画商のところで働いていたのに、ゴッホの絵を売る気は、全くなかったらしいのですね。
シューベルトの極貧伝説もものすごく、シューベルトは、作曲家なのに、五線譜が買えないのです。
友人の画家が、シューベルトのために、五線譜を描いていたくらいです。
まぁ、極度のあがり症なシューベルトは、演奏会とかやっても、あがってしまい、上手くいかないんだそうです。
でも、友人には恵まれていたのか、シューベルティアーゼという気心のしれた集まりでは、ちゃんと演奏できたようです。
まぁ、友人の一人が、シューベルトを実際とは全然似ていない、ハンサムに描いた絵が、音楽室とかに飾られていたり、教科書に載っている絵ですね。
そこらへんは、ラッキーですね。
シューベルトは、ベートーヴェンとは、違う強さがありましたね。
誰だったか、シューベルトの未完成交響曲を、自身の暗い運命にたじろがず、今は情熱を持って耐えていると、表現していましたね。
文章、うまいなぁ。
オットー・クレンペラーさんの演奏を評したものですが、シューベルトは、甘いというより、孤独さが、本質にありますからね。
芸術の本質に、とても近いですね。
そんなところは、川谷さんは、よく似ていますね。
まぁ、私も、どこか、その系列にいるのかもしれませんけどね。
まぁ、学者系列なんで、演奏してもらわなくても、読んでもらえれば、大丈夫なのは、シューベルトより、運がありますね。
ただ、金欠気味ですから、このまま、ハイレゾ自然音が世に出ずに終わるよりか、広まった方が全然いいのですね。
学者系ですから、金儲けが、目的ではないのですね。
単純に、未知のものの本質が見えて来たりする瞬間が、たまらなく、楽しいんですね。
知的好奇心なんですね。
これが、学者系の特徴かなぁ。
どこぞの馬鹿女みたいに、いい中学に入る、いい高校に入る、いい大学に入る、司法試験に合格する、そんなのが、学問のわけねーだろー。
丸暗記するだけなら、お前は、六法全書より価値がねーじゃないか。
生きている証はどこにある。
そういう生き方とは、対極にある生き方をしている私は、そりゃ、飯を食わないとならないですから、ハイレゾ自然音の作り方を教えて、飯を食おうと思いますが、また、違ったテーマに取り組んでいくのかもしれないですからね。
ペンディングになっている、1900年、ブダペストにおけるユダヤ人社会の教育についても、書いてみたいですもんね。
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