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2017年11月19日13:00

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汚物と吹き溜まり お喜楽主義

■若年層自殺「切実で深刻」=「死」語れる場で予防を−相談員ら指摘・座間事件
(時事通信社 - 11月18日 18:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4865363


 みんなうんこやおしっこをする。あのアイドルも同じ。

 うんこやおしっこは間違いなく存在するが文明や技術のおかげで今ではきれいさっぱり水に流すことができる。街行く人々はうんこともおしっこともほぼ完全に無関係でいられるようになったと言っていい。
 私から出たうんこやおしっこは陶器やステンレス製の器に落ちる。そこにしなさいと教えられたので、物心ついてからはうんこやおしっこはその器を見つけてその中に落とすようにしている。その器には穴が開いていて化学合成樹脂で出来た汚い水だけが流れる専用の管につながっている。その管は数メートル先でさらに太いコンクリート製の土管につながっていて土管をたどって行くとさらに太い大きな土管に何度か合流してやがて汚物の混じった汚水ばかりが行き着く大きな臭い池に到達する。街に住む人間の暮らしの中で出た汚い水ばかりを集めて、技術を駆使してきれいな水にするための池である。池は、下水処理場、という名前。

 うちの近所では毎週火曜日と金曜日に、燃えるごみ、を決められた場所に出すことになっている。燃えるごみは、生ごみや再資源化出来そうにない紙や布など。暮らしの中で出るごみにはこの燃えるごみのほかに、燃えないごみ、燃やさないごみ、があってこれらは再資源化出来るものとそうでないものに分けることになっている。それぞれ決まった曜日に決められた場所に出す。出されたごみはごみばかりを集めて処理をする係の人間がいてトラックで決められた場所まで集めることになっている。その場所は、ごみ焼却場、とか、ごみ処理場、という名前がついている。

 うんこもおしっこも色々なごみも不潔なので美しく楽しく気分よく喜びに満たされて暮らすためには何とかしたい。

 清潔にして健康を保って、私たちは笑って幸せに暮らすために技術を発達させてきた。美しく楽しく気分よく喜びに満たされて笑顔で暮らすことを目指して。


 「お喜楽主義。」 これは造語だけど、喜びと楽しみに傾倒して暮らす様子を表す言葉。
 笑顔が大事。明るく仲良く暮らすのが基本。

 人間は、喜怒哀楽、清濁、陰陽、善悪、生老病死、森羅万象、そんな混沌とした存在だ。暮らしは様々な出来事に彩られて明るく暗くそしてそれらが入り混じるからこそ平穏無事として過ぎて行くもの。そしてそんな人間を取り巻く様々な存在そのものには優劣や上下はないはず。だが、しかし、お喜楽主義が蔓延している気配が濃厚なのが現状。

 哀しみや、苦しみ、汚れたもの、老いや死、涙、怒り、それらは喜びや楽しみに対して忌み嫌うべきものだと言うのだろうか。うんこやおしっこ色々なごみに当たる不潔なものだと言うのだろうか。笑っていることは大事で涙や怒りは大事ではないのだろうか。人間の心において、ごみ、として扱っていいものがあるのだろうか。

 いつも明るく笑顔を大事にするのは、なぜ。

 負担を嫌がるのは、なぜ。

 つまらないことや涙は一体どうしたらいいの。

 介護施設やこういう自殺防止センターはここ数十年で日本の社会に現れて増えてきた。こういうものが暮らしの中に出来上がって来た背景にはお喜楽主義の流行があるのでは。

 近現代社会の社会問題。貧困、から、戦争、までいじめや自殺も含めて大小さまざま色々あるけれど、ほとんどのものが人間が大勢で求めるものと対になっている。みんなが求めない方のものを専門で片付けなければみんなが求める社会の姿にはならないことに気が付くべき。

 うんこやおしっこを片付ける専門の技術と人がいるから私の生活にはうんこもおしっこも無い。

 心や生きる姿と言った人間の存在そのものの一部分をうんこやおしっこやごみと一緒にしていいのかということにみんながそれぞれ暮らしていく中で気が付いて考えたほうがいい。汚物は目に見えるから片付けられるけど心はどうなんだろう。みんなが捨てた心がどこかに溜まってしまってはいないか。心は目に見えず集めて技術で浄化するということも出来ない。心については一人一人がすべてを請け負って責任をもって持ち続けて対応するべきなのではないのか。暮らしや生活、人生はそういうものではなかったのか。人づきあいや文化はきっとそういうことのためにこそあるはず。楽しむためだけのものではないだろう。本当に笑顔だけが大切か。一人一人が暮らしの中で喜怒哀楽のすべてに同じように思いを寄せるとき何か世の中はもう少し落ち着いた深さを持ったものになるのでは。

 こんな、「東京自殺防止センター」のような施設が専門的に悲しみや苦しみに対応する世の中は嫌だ。お祭りみたいなイベントや、インスタ映え、とか、そういうものばかりを気にしたり気にされたりするような流行が広がるだけの世の中は結果としてその対になるものを排除している。排除されたものがどこかに吹き溜まって行く。

 

 
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