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2017年11月14日20:03

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政治の改革

■小池氏、希望代表の辞任を表明 両院議員総会
(朝日新聞デジタル - 11月14日 17:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4858882

 戦後の日本の政治の主役として自民党があった。70年前。沖縄の占領と空襲と原爆と敗戦でぼろくそになった日本をアメリカ主導の民主主義が中心になって自民党が先頭に立つかたちで復興してきたのが現代日本の骨格をなしている。その間ロックや映画やファーストフードなどの文化面も含めてアメリカには多くの影響を受けて日本は成長してきた。ある意味、バブルがはじけた90年代後半に、日本はひとつの戦後の区切りを迎えたと言っていいのだと思う。

 変人小泉純一郎が、「自民党をぶっ壊す、」というセリフとともに郵政民営化や数々の規制緩和を構造改革の象徴として政治家として成し遂げたのは、日本人が50数年続いた戦後からの復興と成長を牽引した自民党政治と社会構造に改革を求めたことを如実に表す象徴的な出来事だったと思っている。
 その後民主党が政権を奪ったことも、国民が過去の社会構造にお別れして新しい何かを求めていることの表れだったと言っていいだろう。

 東日本大震災、大津波、福島第一原発の事故、2万人もの人が亡くなり、その十倍以上の人々が避難生活を送る現在の日本。かつて国民が選挙によって民主党に託した日本の新しい何かの追及はあの地震のあまりにも大きすぎる被害に対応せざるを得ないために、始まったとたんに消滅することになった。結局戦後に自民党が築いた社会の骨格が改めて息を吹き返して機能する形で今の日本は震災の復興を目指している。
 この間に自民党はかなりの改革を党内で敢行して新時代の自民党を目指そうと衣替えをしたはずである。それでもなお、小池都知事や大阪の維新松井代表などからしたら改革するべきものがたくさん残っていて構造改革はなおこれからも必要だという見立てなのだろうと思われる。

 ただただ日々我が日常を暮らすことで一杯な一国民としては、永田町を中心とした政治の現場がどのようなものなのかということは謎である。やる気のある記者が裏を暴いてくれる報道などから想像を膨らませる範囲にとどまる。それでもやはり無駄や私腹を肥やす仕組みが垣間見られたために改革を訴える政治家が表れるのだと思う。

 小池都知事もその一人だと思う。

 このニュースに関するつぶやきなどを見ていると、目の前の勝敗や政治家の身の振り方への拙速な感想をぶつける形で述べられたと思われるものが目立つ。これは、どういう世相の表れなのかと考えているが、すぐに思い当たるのは、こうしたつぶやきを発する人々の日常はやはり同じように自身が求められる眼前の選択に迫られてそこに埋もれて暮らしているのだろうということ。何かの因果関係につけて長い時間言い換えれば時代といった観念で考えるよりも、今、の選択、言い換えると、自分の利益、の選択、に迫られて暮らしているのだろうということが読み取れると思う。成果主義の表れなのだろう。

 政治の改革というのは一朝一夕に成し遂げられるものなのだろうか。

 今回小池氏が率いる希望の党が急な選挙で惨敗を喫したけれども、国民が改革路線という考え方そのものを捨てたと決めつけてしまっていいことなのかどうか、自分は都政での内田議員の引退などを見ているとまだまだ古い何か、しがらみ、がこの国の中にはたくさん埋もれて息づいている気がするので改革を訴える政治家を応援したいという気持ちがある。この改革というのは長い目で支持することでいつか成し遂げられるというような息の長い活動だと思う。新しい時代を創るためには必要なものなのではないだろうか。維新や都民ファーストのような中道改革派の出現は自民党にも考察の刺激を与えるだろうし間接的に政治が何かを改めるきっかけとなるのなら、唾棄すべきものでもない気がしている。

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