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2017年11月12日00:40

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雑記

1:
僕が社会人としてのキャリアが始まったのは
日本最大の製薬会社の研究員としてでした
その会社では
「わけのわからん博士様よりも 仕事ができる中卒の人のほうが偉い」
という考え方が採用されていて
僕がいた研究部門にも
中卒から集団就職でその会社の工場員として社会人のキャリアを始めて
その時点で もう古株の研究員となっていたじーちゃん達が ものすごく多くいました

その中の Hさんと言う古株さんが 僕にこう言ってくれました
「私は 自分の学歴を恥じたことはありません」

僕は あんなじーちゃん達みたいになりたいと心の底から思いましたし
今でもそう思っていますし
あのじーちゃん達の背中を見て 自分も学ぼうとしてきたつもりです

2:
僕は HNの由来が
漫画でありアニメの「じゃりン子チエ」の「テツ」なので
当然アニメも全部見ていますし 漫画も全部読んでいます
もし興味を抱いてくれたらでいいので アニメのDVDを全部見てほしいのですが
随所に
「物を大切にする」
「物を大切にしないとバチが当たる」
「食べ物を大切にする」
という 
「普通」

「はず」
のセリフなどが出てきています

しかし…
この考えかたが普通だったのは バブル世代までで
それ以降の世代には
お菓子の付録のカードが欲しいからお菓子を買って お菓子そのものは捨ててしまう
という人たちが増えてきて
あまつさえ 大人になってまで それを武勇伝であるかのように語る人が増えています

某ダウンタウンの某松本曰く
「今は飢えてるアフリカのガキでも 食べ物が余れば捨てるわ」
らしいですが
この言葉によって 日本人は 日本人の大きな美徳であるはずの
「しまつして使う」
を捨ててしまったかのように思います

「しまつして使う」
は ものごとの表面しか見ようとしない人たちの目には
「ケチ」
としか映らないでしょうが
本当の意味は全然違うんです

たとえば 僕らが毎日食べているものは
元を正せば 全て他の生き物の「命」です

自分が生きるために 他の生き物の命を食べている以上
それらの命に対して感謝しないといけないですし 責任があります
このうちの「感謝」が 「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉であり
「責任」が できるだけ無駄なく食べる つまり「しまつして使う」だと
僕は思っています

でも
この肌の感覚がわからない人が 増えすぎています

3:
僕が大好きな映画のシリーズ
「男はつらいよ」シリーズの中に 以下のようなセリフがあります

”俺がノリをつけてアイロンをかけたワイシャツじゃないといけないんだと言ってくれる人がいる
仕事と言うものは そういうものなんだ!!”

でも 今この言葉の意味が分かる人は どれくらいいるのでしょうか…

ひろゆきやホリエモンの如き俗物が
「地方のインフラ維持に金がかかるなら みんな都会に住めばいい」
などとほざき いっぱしのオピニオンリーダーを気取っている段階で
また 彼らの如き俗物を「成功者」として尊敬する社会



おまえらは 一体なにをわかっているのだ?

おまえが食べている米も肉も魚も 雑草と同じものではないんだ

多くの人たちの献身的な努力によって はじめておまえらの口に入るんだ

おまえらのその薄っぺらい世界観の中に
そうやって献身的に努力してくれている人たちへの
「感謝」
があるとは 俺は思わない

ホリエモンはこうも言っています
「介護や保育の仕事が薄給なのは 誰でもできる仕事だからだ」

これを言い垂れる時点で
こいつらは哲学者オルテガが定義する
「大衆」
です

このオルテガは「大衆」とは
「縁の下の力持ちの多くの人の献身的な努力によって作られているこの社会を
そこらへんの雑草と同じものだと『しか』考えられない手合い」
と定義しています

結論:

昔に「普通」のハードルが低かったのは
サザエさんのせいでもクレヨンしんちゃんのせいでもなく
中卒で集団就職で就職した人たちも 誇りをもって仕事をすることができて
クリーニング屋さんも散髪屋さんも八百屋さんも 社会の中の縁の下の力持ちとして認められていて
みんな自身の仕事に誇りを持つことができて
同時に みんなが
「自分が今この生活を営むことができているのは 無数の縁の下の力持ちの皆さんが支えてくれているからである」
ことが わかっていて
そういう意味での「大人」による社会がきちんと営まれていて
みんながお互いに「敬意」を持っていたからです

本来その「敬意」の中に入っていないといけないはずの
「食べ物を粗末にしない」
ということがわからなかった手合いが今社会の中心の世代で
子供の時に食べ物を無駄に捨てていたことを 今でも武勇伝として自らの中で扱い
某松本の言葉に共鳴し
ひろゆきやホリエモンを成功者と扱いオピニオンリーダーとして扱っている段階で



無数の 縁の下の力持ちの人たちに対する「敬意」を持たず
アイデアだけで経済的成功を収めることが勝利者と「しか」考えられず
青っ洟垂らしてたガキの頃に
人よりたまたま算数の問題が1問余計にできたとかいう程度の下らん理由で
自らを「選民」と思い上がり
縁の下の力持ちの人たちを内心バカにしている俗物がこれほど増えてしまって



これでは
世帯年収が 額面2000万くらいないと
家を買い 住宅ローンを抱え 車を買い 2人程度の子供に 塾や習い事をさせる
「普通の人」
にはなれないんですよ



蛇足:
オウム真理教が大騒ぎになったころ
「なぜあんなサギ教団に入信するのかわからない」
と 多くの人が違和感を持ち 大半の人は色眼鏡で見ました

でも…

このオウムも
お年寄りをだまして わけのわからんものを売りつける詐欺師集団も
集団自殺も
神奈川の例の事件に代表される非道な行いがなぜ可能だったのかも
根っこは全部同じなんです…



今の世の中が あまりにも
(悪い意味での)同調圧力が強すぎて
その同調圧力に従いきれない 従おうと努力しても従いきれない 多くの弱い人を
その集団として いじめて のけ者にして 排除していく
これがあまりにも正当化透明化され過ぎているんです

オウムも詐欺師も例の卑劣奸も根っこは一緒で
そういう弱い人を見つけ 親身になるふりをして騙し
自らの目的を遂げるための「虫けら」として扱っているんです…

僕が何を言っているのかがわからない人は
どうか
「じゃりン子チエ」と「男はつらいよ」シリーズを 全部見てみてください

・大人が信用できる
・大人が 大人であることから逃げない
・弱い立場の人に対して 親身に接する

などの「昔の社会」が残っていて
集団自殺もオウム真理教もありませんし
みんな「普通の人」ですから…









■「普通の人のハードル、上がり過ぎてない?」という投稿に共感多数 「昔はサザエさんも野原家も普通だった」
(キャリコネ - 11月11日 09:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4854415
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