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2017年11月08日10:35

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連鎖

私の愛着障害の元々は両親のこと
DVのように連鎖するということなら、まさしく両親からの連鎖だ

最初は母だけのことかと思っていたけど、そんなことはない、父もだ
母は顔も見ずに結婚したけどその相手は愛着障害だからこそ、親が探してきた母と何も言わずに結婚したのだろうと

愛着障害が愛着障害の相手を見つけるというのはそのまんまだ

母は田舎の昔は由緒ある家ということになっていた家で産まれたけど
末っ子で
跡取り娘だった母の母親は2回婿さんを迎えたのだと聞いた
最初の婿さんがどんなかは、母も知らないのかもしれない
母の父親という人は、働いても働いても暮らしが良くならないことに呆れて、この家を捨てようと言ったけれど、それが出来なくて
母がお腹に居るときに家を出たのだという

母の戸籍は父親の名前が空欄になっていて、私生児と言う事になっている

上の兄姉たちは、家を捨てた2番目の父親のことを良く思わなかったから、生まれてきた末っ子の妹にも良い顔はしなかったという

それぞれ奉公に出たり家に残ったのは、母と母親だけで
一番優しくしてくれた大好きなすぐ上の兄は、戦死した

貧乏のどん底で、お米を借りに行く所も無くなったような生活だったらしい

お金がないのは首がないより辛い、と言うのが母の口癖だった
当然学校も満足に行っていないし、娘らしいことを何もしないで、近所の畑仕事の手伝いとかをしていたらしい

年が離れていた跡取りの兄が家に帰ってきて嫁を取ったのは、母親が亡くなってからだと思う
居候のようになった母が居る場はなくて
そこに、顔も知らない人の縁談を持ってきたのが私の祖父

祖父の長男である父は、最初の妻に逃げられていて、もう誰でも良いと結婚したような

私の祖母は一人娘の跡取り娘
大きなお屋敷の女中頭をしたことも有ったと聞いている
やはり没落した家で、祖父と結婚したときには働いてもお金がないという生活は、母の顔も知らない父親と同じ様なものだ

文盲だった祖父が夜、祖母から字を教わったときだけが、蜜月時期だったという

働いてお金を渡すと、祖母は銀シャリにして食べてしまうので、いつもお米がないお金がないの生活だったと

学がない、がさつな祖父をさげすむようになった祖母が、仲が良いわけがない
そこに生まれた長男が父だ
仲が良くないのに5男1女をもうける
(子どもの頃、どうして仲が良くないのにこんなに子どもを生んだのかと思ったものだ)(こういうのを見て育つから、長姉は結婚しなかったのだと母が言う)

1度は、子どもを連れて祖母が家を出たのだという、数年、でも食べていけなくて、又戻ってしまったから、祖父の力はもっと強くなったと聞いた

祖母は、自分の周りから子どもが遠くに行くのを許さず、すぐ近くに子どもを集めていた

住宅事情で祖父母の家から5分という所に住んでいた私たち
母親が祖父母にいびられるから祖父母の家に顔を出すという生活
そこに、孫と祖父母の暖かい時間は無い
母の悪口を聞かされ、イヤミを聞かされ、肩を叩き、お茶碗を洗い、煮物を持っていくということだけのような時間だった

父は祖父母の家の前を通って出勤するので、その行き帰りに顔を出し、帰りは今日一日のことを報告して、家に帰ってから、子どもや母ににこやかに話をすることなどなかった
野球を見てご飯を食べて、寝てしまうだけ

母親だけで育った母には男親がどんな風に子どもと過ごすのかという見本もないまま、父をどう扱えば良かったかわからない

ただひたすら、おかずは父の好みに、昔大病をしたからと、父には、牛乳をとっても、その牛乳を父は子どもに分けると言う事も無かった
(私はみんながまずいという脱脂粉乳も、まずくなかった、美味しいとまではいかなくても、普通に飲んだ、それほどの貧しさ)

舅姑にいびられ、夫に良い扱いを受けない腹いせは、全部子どもに向けられた
長姉は家のことをするように、次姉は何をしなくても叱られず、学校にいつまでも居て友だちと遊び
暗い引っ込み思案の友だちも居ない末っ子の私は、上の二人の知恵の付いた姉とは違う意味で私を使った

度鳴りながら、けなしながら、何を言っても良い相手を母は私に見つけた
今まで末っ子で、兄姉たちに言いたいことも言えず
舅姑に口答えも出来ず、ぶつける相手は私だったと、今はわかる

自由になるお金がないから、働きに出た母は、外で働きお金を持ってくることが楽しいようだった
あんたのお父さんがお金を持ってこないから、と聞かされ、だから母が働く分、子どもの一番時間の有る私が、買い物をする母を駅まで迎えに行き、荷物を持って帰るのは当然のことだった

テレビドラマのように、呼ばれた子どもがは〜いと明るい声など出すわけがなく
小さな声で返事をしても、返事もしない子だと言われ、怒られるから困った顔をしているのが、みったくない子と言われ
ばあちゃんそっくりな顔だと疎まれ

ここに愛などない
そういう末っ子の娘を大事にしようとするような父じゃない

愛着障害を知る前
愛情遮断症候群という本を書いた小児科の女医先生が居て、その本を読んだとき、そのまま私だと思った

背が伸びない、体重が増えない、笑顔がない

夏の暑いときに、家に居たら暑苦しいからと、母の実家に避暑のように行った2週間が、私には別世界だった
この時期に体重が増えた
楽しい生活だった、叔父は怖かったけど、従兄が居た

この田舎での生活があったから
園芸高校に行くことにつながったと思う
そして園芸高校は私を変えた、この高校に行っていなかったら今の私は居ない

父は家族より、他人に優しかったし、外で良い人と言う事になっているのは、夫も同じだ

母も、子どもより姪や甥に評判が良かったし、お金も使った
他人にばかり、いい人に思われたいという行動をする

私もそうなのかもしれない
こう書くと、みんなそうよ、そういうものよと言われそう^^

祖父母から両親、そして私まで、つながった愛着障害
長男はそんなことは無いと思う
次男は結婚云々がないけど、優しい
娘は自分もADだと確信したと言っていたけど
今は良い連れ合いと共に居る
愛着障害はここで終わるだろうと信じている
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