無自覚な悪意とは、無自覚故に非常に始末が悪い。
表層部分の意識のそれよりも、深層部分のわだかまりは自律が難しい。
表層意識は自覚しやすいが、深層意識とはある種の無意識であり自分でも理解していない事が多い。
怒りを表現するときに、激情的に怒鳴り散らすような方法で具現するタイプと、狙い澄まして針で急所を指すように静かに言葉を選んで具現するタイプとあると思う。
僕はどちらかと言えば、間違いなく後者だ。
自分自身の在りたい姿と、実際の姿とは少なからず異なるのが世の常だ。
意識的に変えられる事柄と、変えられない事柄とが有る。
意識的に変えられない事柄が自分の描く理想像と異なる場合、どう妥協するか…
非常に根の深い問題だ。
表面的に取繕ったところで、所詮は上辺の見せかけに過ぎない。
最近、自分でもやり過ぎたと思う会心の一撃を放ってしまった。
ただ、小言を言うならば、それなりの覚悟を以て望まなくてはならないとも思う。
凄まじい剣幕で小言を言いに来て、逆に根底を覆されるような小言を言われれば誰だって驚く事だろう。
一人の人間の見えている範囲なんて、非常に狭い範囲に過ぎない。
背景やそこに至る経緯をもう少し知ると、自分の思慮なんて、何とも狭い世界観に基づいが偏ったものなんだろうかと痛感するものだ。
自分以外の人間の気持ちや思惑を推し量ろうなどと、なんとも高慢な…
最近、改めて思う。
僕の人生哲学は、自分への戒めとして「所詮は人間。」の一言に尽きると…
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