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2017年10月10日09:30

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ギャップに驚く?ことに驚く。

■有村架純、『ナラタージュ』で少女から大人の女へ 驚くべき『ひよっこ』とのギャップ
(リアルサウンド - 10月10日 06:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=169&from=diary&id=4805251
『ひよっこ』の前に『ナラタージュ』は撮っていたので、そのギャップではなく、逆にいえば、ナラタージュからひよっこへのステップアップといわなくてはいけない。

というか、女優も男優も、俳優は役柄を演じるのであって、なにをやっても同じ、でいいのはスターだけ(あ、最近はそうでもないが)俳優はつねに自分のなかにどんな役柄をオファーされても対応できるだけの準備が必要で、それが仕事なのだ。

またパブリックイメージが清純派?というのも、朝ドラのヒロイン女優への偏見(?笑)ではないだろうか?『あまちゃん』のときのヤング春子だって、東京に憧れては裏切られるアイドルになりたい東北少女、は清純派というよりも、けっこう複雑な役柄だったし、なにより『あまちゃん』のヒロインの、のん、も猫背で自己肯定感が薄くてネクラであった。というか朝ドラのヒロインが、明るく真面目で前向き、であったのはもはや遠い昔の話、特に『あまちゃん』以降のヒロインはそこまで単純ではない。

有村架純は、この『あまちゃん』で注目されて、大ブレイクしたのだが、彼女自身によれば、女優を辞めるか悩んでいた時期でもあったらしい。そういう内面の揺れが、聖子ちゃんヘアの、東京の芸能界のオヤジどもに利用されてしまう役柄に、リアリティを与えることができたのだろう。

彼女を清純派というのはよほどのドラマオンチというか、鑑賞力がない視聴者の感想で、なぜ岡田惠和さんを彼女をあて書き(あらかじめ彼女がヒロインを演じることを念頭に脚本を書いた)したのだろうか?『ひよっこ』の最終日だったか、NHK・FMの岡田さんの番組に彼女がゲストで出た。この番組には、俳優や脚本家や作家や映画やドラマや音楽に関わる人たちがゲストで登場していつも楽しいのだが、有村架純という女優の語る言葉を聞いていて、ああ、なるほど!と思うところがあったのだ。これはそのかなり前に和久井映見がゲストのときも、同じように感じたのだが、役柄と自分自身の対話や葛藤を、きちんと言葉にできる女優だから、岡田さんはヒロインとして目をつけたのだ、と思った。ただの清純派ではない、儚さと強さ、柔軟さと頑固さの両面があり、けっして役柄に溺れすぎずに冷静にドラマのなかの立場を把握できる、そういう個性だからこそ、あの波瀾万丈でもない、立身出世するわけでもない、平凡といえば平凡な茨城少女が、いかに東京で生きていくのか、を描けたのだと思う。

ヒロインは地味、しかしなぜ地味なのか?その地味さは周囲を活かし、輝かせる地味さなのである。このヒロインの造形こそが、岡田さん得意のファンタジーとリアリズムの共存だったのだ。みね子は、無意識に光の粉を周囲に撒くリアルなティンカーベルであったのかもしれない。あの高度成長という狂騒の時代に、冷静に足もとを見て生きる、自分から攻撃はしなくても、いざ時代の荒波が、あるいは恋愛の暴風がやってきても、合気道の達人のようにそれを受け止めて返す、冷静なヒロイン。確かにそれは有村架純という女優にはうってつけだろう。

昭和顔でありながらもちろん平成女子だから手足は長くスタイルはいいし、おっとりしているように見せながら、ジムへ通って腹筋割れているのが、彼女の個性なのだ。

朝ドラのヒロインをやったから女優として将来を約束されたわけではないが、その経験をこれからどうやって活かしていくのか?主演も助演もできる、そんな女優をめざしてほしいが、しばらく休んで、おそらくオファーは数年先まであるのだろうが、次はどのような場所をめざすのかが彼女の新しいテーマになるのだろう。













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