「いつかはクラウン」そんな有名なコピーもあったが、
上田屋にとっては「いつかはランサー101」だった。
大卒初任給が3万円の時代に、定価は一台20万円を超えていた。
今の時代から見れば音質的な問題も多いのだろうけど、当時は別格だった。
特に1950-1970年のモダンジャズレコードでは無敵であったろう。
当時栄華を極めたジャズ喫茶でも、高価のためか?このL101を使用していた店は少なかった。
私の記憶では神保町にあった「響」がこのスピーカであった。
人気店でもあり、いつも満員御礼で入店は運まかせ。当時は中央、明治、日大・・・ヒマな学生が沢山いたから・・・・。
このいつかはが実現したのは、就職して数年後・・・・それも「もどき」のL101だった。
工作派のオーディオファンとの旗を立てていたのでユニットとネットワークを購入し箱の図面をサンスイより頂き自作した。
もし、タイムマシンでもあったのなら、オリジナルのL101を購入し、オーディオの浮世を離れて聴き入るのも良いかなと思った。
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