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2017年10月04日20:45

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中途半端な模索

■20代、仕事への考え方1位は「プライベートを大切に」――「仕事だけの人生は送りたくない」「自分らしさを見失わない働き方」
(キャリコネ - 10月04日 11:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4796905

 何かがほんの少し薄く、或いは、たっぷりと分厚く、ずれていて、そのために絶対に自らの人生にはたどり着くことが出来ない。と言った、矛盾とも言い切れない、もどかしくも確実な多重構造を現代人は生きざるを得ないものなのか、そんな残念な感慨は日々を霧のように包む。

 ほぼすべての社会人は割り切るという何かしらの決意を隠し持つ形で暮らすことになるようだ。仕事や人間関係と実人生、が完全に重なって進むということにはなかなか成りにくい。そんな気にし出せばやるせない現実を抱えたまま我々は、結局ずっと暮らす。

 このことを突き詰めていくと、人間社会の余剰や贅沢に考察は及ぶ。いきなりの極論をぶしつけに放つとすれば、裸で外に住むようになれば人生と仕事は完全に重なって進むことになるのかもしれない。
 社会、世間、情報、流行、空気、ノリ、職場において学校において様々な人間関係においてとらえきれないまでも絶対的な存在感を持つ概念が日常には存在していて意識はそこへ傾きがちになる。
 そういうものをひとくくりにして側へ押しやってそういうものとは全く関係のない、自身、という自らの心と体、これが野生も理性もはらんだ混とんとしての全人格として現実に向き合う裸の状態を社会に提供することができれば、と考えてみる。そんな個が、一人ひとりの個性として輝いて現れることによって、社会に追随するための社会ではない、見たこともない個がたくさん横に並んだみんなの実人生が延々と横に並んだ裸の社会が生み出されるといった夢を見る。

 そんな極論とこの記事で語られているような新社会人の暮らしの工夫や心得や希望を並べて比べると、自分らしさ、とか、仕事だけの人生は嫌だ、とかいった中途半端な暮らしの模索や創意工夫なんて社会に使い捨てにされる悲惨な人生と五十歩百歩のようにも思えてくる。



 
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