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2017年10月02日18:52

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希望の党の安保法制幻想と立憲民主の可能性

■枝野氏が「立憲民主党」結成 長妻氏や赤松氏ら参加へ
(朝日新聞デジタル - 10月02日 17:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4793999

希望の党へ無理な合流を図るよりも、この方がよほど自然である。民進から希望の党への参加には安保法制への賛成が条件だそうだが、民進は安保法制に反対だったのだから、賛成して新党参加できるというのは本来おかしいのである。筋論としては、合流者よりも新党側に理がある。

むしろ枝野一党が希望の党に合流していた場合の方が、党名に反して絶望と失望は深かったろう。新党結成は歓迎したい。

立憲主義への挑戦・攻撃こそが、安倍政治における決定的な悪政だったのである。その極致が違憲の安保法制であり、共謀罪である。これらに対抗しないのであれば、希望の党がやろうとしていることは所詮、理念なき権力闘争であって、ヘゲモニーの奪い合いでしかない。もちろん、たとえそうであっても安倍一強などと評されるような政治空間よりはマシだが。

だいたい、安保法制は大方の憲法学者の評価では違憲である。本当に安全保障を重視するならば、そういう危うい法律基盤の上に国家安全保障体制を乗せるべきではない。自衛隊員に死傷者が出たりした場合に、違憲訴訟が提起されて、自衛隊の活動が法的に揺らいでしまう恐れもあるのだ。

安保法制の議論の間もこうした指摘は憲法学者からなされてきた。例えば水島朝穂氏は、自衛隊合憲論は「個別的自衛権まで」を認めることによって成立してきたと指摘する。したがって、集団的自衛権を認めてしまうと、自衛隊合憲論自体が自己崩壊してしまうのである。

それを端的に示しているのが大森政輔内閣法制局長官の答弁で、「自衛隊は合憲である。しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められない」というものだ。自衛隊は自国が攻撃された場合にのみ、自衛のため反撃するという、個別的自衛権の理屈で合憲性を保ってきたので、集団的自衛権を認めたら合憲ではなくなってしまうのである。断っておくがこれは護憲派の理屈ではなく、歴代内閣の見解である。

また木村草太氏は集団的自衛権を行使することで、首相や自衛隊幹部が職権濫用罪に問われたり、莫大な損害賠償責任を負うことになりなねないとも言う。

「本当に「厳しさを増す状況に対応するために、集団的自衛権の行使が必要である」なら、訴訟に耐えるだけの法律論を組み立てるべきだろう。それができないにも拘らず、集団的自衛権を行使すべきだと主張するのは、無責任の極みである」『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』より。

要するに安全保障を重視するなら、むしろ安保法制に反対しないとおかしい。国家安全保障が重要であればあるほど、憲法上の疑義が一切ない法制が求められるのである。小池氏は「リアルな安全保障が必要」とコメントしたそうだが、危うい法的安定性を無視して安保法制への賛成を求める姿勢のどこがリアルなのか理解に苦しむ。

私は護憲派なので賛成はしないが、保守政治としては「安保法制反対・改憲賛成」という立場が一番健全であり、論理的である。安保法制に賛成するような連中が、「リアルな安全保障」などとは噴飯ものである。嘘つきは安倍の始まりだ。希望の党では安倍政治への「対案」になりえない。この連中は状況次第では自民党にも容易に合流するだろう。

時間とカネのなさゆえに立憲民主が大きな勢力になるのは難しいだろうが、対抗勢力としては死活的に重要な立ち位置と言える。

ある程度楽観的な見通しをするならば、保守二大政党になると、それぞれ単独では過半数が取れなくて、連立先の小政党が発言力を握るという可能性もある。立憲民主に集うリベラル勢力は、展開次第では民進党の党内勢力に留まるよりも、新党結成によって今の公明党的なキャスティングボードを握り、政策実現力を高めるという形で存在意義を出せるかもしれない。

日本国民が自民党と希望の党などという、選択肢と言えるのかも怪しい貧弱な二択に満足するとは思えない。立憲民主に踏みとどまるだけの力を与えうるとすればそこだろう。
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