mixiユーザー(id:996575)

2017年09月29日12:55

132 view

ヒューヘフナー・Playboy逝く

遂にヒューヘフナーも91歳で逝ってしまった。月刊プレイボーイって、週刊は高校の時でおわりましたけど、日本版がでてすぐ大学以降買ってたのです。80年代の半ばまでは買ってた記憶があります。日本版は75年7月号から09年1月号まで続いていたようですが、やはり高校の頃はアメリカ版が楽しみで(笑)さすがにアメリカ行って買ってくることはできませんでしたが、(向こうはあの種の雑誌に近づくのも厳しかった)輸入版(写真とか表紙の質はひどかったです)のやはりセンターフォールドが、あの税関のえぐい検閲のマジックに黒く塗られた画をみて喜んでいたものでした。
しかしアダルト雑誌に分類はされていましたが、US版ではキング牧師とかカストロとインタビューやったり、ジョンレノンともあったようで(日本版でもあったのでそうけど、記憶がない、RollingStoneのヨーコとの裸で抱き合ってるのが凄く記憶あるのですが)日本版では一番印象的だったのが、75年にでた時にすぐ特集でやった”US大統領令9066号”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E4%BB%A49066%E5%8F%B7
日本の編集部の凄さはアメリカの差別偏見の歴史をあの時点で示していたことだった。
あの時点でこの話しを特集するなどというメディアはありませんでした。そういう意味では
鋭い雑誌だったのです。また英語の大統領令がちゃんと添付されていたのにはびっくりしたものだった。
 その後イランへいってた時に、先輩から下町のキオスクで売ってるという話しをきいて土曜日にテヘランのバザールの方までいって、買っていましたが、日本から、海外新聞とか本の配達サービスで買ってたより(あれは値段が2倍以上した)安くは購入できました。但し、ちゃんと新聞にくるんで、ビニール袋へ入れられて、とりあえずイスラムとしては表面上禁止でしょうから、ちゃんと対応はしてたのでしょう。笑 アパートにもってかえって、みるのは楽しみでしたが、記事とかもちゃんと読んではいました。(いいわけ)日本版との大きな差は、当然日本語と英語ですが、センターフォールドのピンアップガールのヌードだったのですが、残念なことに単に違いは、足の向きだけで、要するに毛がみえるかどうかということだけでした。(わかりますよね、日本がこの点は後進的で、やっと見えるようになったのが90年代入ってからくらいでしたから)こんなもので喜んでたので今なら笑っちゃうでしょうけど、仕方ない現実です。
 このヘフナー氏、彼はやはり文化的な功労者なんでしょう。男性雑誌の分野(Playgirlってあとからでてましたが、あれは男性趣味の方々にも受けてたようですね、まだUSではあるのがびっくりですが)。やはり彼は、雑誌とう分野でR&Rしていたのでしょう。時代を切り開いた功労者へ。 ご冥福をお祈りいたします。


7 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する