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2017年09月26日21:23

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仮眠時間、街が人を育てる

仮眠時間です。

核家族化した時代ですね。

どこのうちも、余裕がある時代なら、核家族もいいのかもしれません。

でも、かなりの割合の家庭が貧困層に落ちつつありますと、そこからぬけだすのは、めちゃくちゃ厳しいのですね。

例えば、すごい天才が、貧乏人の家庭に生まれたとして、日本の受験システムは現在、非常におかしく、受験予備校とか、進学塾で特訓しないと、東大には合格しません。

問題を見てから考えたのでは、遅いのです。

この問題は解いたことがあり、解き方は覚えている。

そういう人しか合格しないのです。

ひどい話が、馬鹿でもなんでも、受験のテクニックが上手い人は合格しちゃうんですね。

それは、ひでぇだろー。

大切なものは、今何が問題なのかを、発見し、解決することですね。

問題を覚えて、解くのではなく、問題意識を持って、いい問題を出す力なんです。

まぁ、老人福祉を例に取れば、予算は、減っている、年金は減っていく、長生きしている現状では、一人一人にしきゅうする形の福祉では、絶対に無理がくるのですね。

だいたい、ひどい、笑い話があり、病院の待合室で、待っていたときのことです。

今から、40年前のはなしですけどね。

役所に提出する健康診断を受けに、国立第一病院の内科の待合室で、私は待っていたのですね。

その当時ですら、待合室には、老人が多かったのです。

今日は、誰それさんが見えてないですねーとかの話題になっていました。

まぁ、病気にでもなったんでしょう、という話を誰かがして、そうですよね、来ないのはおかしいですよね。

となっていました。

これでは、サロンですよ。

お友達に会いに、病院に行ったりするんですよ。

なんだこりゃ、と呆れましたね。

でもねー。

私は、久しぶりに、10年ぶりくらいに、腰を痛めましたね。

近所の整形外科で、見てもらおうかと思いますが、今でも、サロンの雰囲気はあるなぁ。

牽引とかローラーとかかけると楽になりますからね。

いくと楽にはなりますね。

サロンはあるし。

やはり、人は、孤独では生きていけないのですね。

そういうものなので、社会から切り離された老人が、ふれあいを求めると、病院に行ってしまうのかもしれません。

孤独死の問題もあったりします。

そういうときには、江戸の長屋方式は、極めて有効です。

まぁ、普段から、街が一体になって、老人や子供の面倒を見ていると、仮に、シングルマザーになったりしても、子供の面倒を街でみてくれるようだと、子供を育てることが不安になったりしないですむのですね。

となると、子供を産むことの不安が減って、少子化を食い止めることが出来たりするのですね。

あえて、今の日本をテーゼとすると、昭和30年後半くらいの日本をアンチテーゼとして考えて、両者のいいところをいかしてみるのですね。

そういう試みを大胆に提言してみるとかが、今、日本に必要なことですね。

全く新しいものをチャレンジするのは、面白そうなのでありますが、過去にいいものがあったなら、それを活かすのも、また面白いものですね。

温故知新というのは、案外、大事なものなんですよ。

袋小路に迷ったときは、また、元の本道に戻ることが必要ですね。

核家族化を見直すのです。

と言って、大家族になれというのではなく、街で育てるという時代に戻るのが、貧困層には、極めて、有効ですね。

そうでなかったら、私は、西成のストリートチュルドレンとして、とっくに死んでいたでしょうし、高輪一貧乏なのが、続いていましたね。

街が人を育てるというのは、あるんですね。
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