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2017年09月21日07:28

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命の重さと赦し

「命の重さと赦し」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/18063 (写真入り記事)

しばらく前に、PTAを代表してある講演会に参加しました。演題は「命の大切さに学ぶ」で、講師は「桶田清順氏」でした。

講師の息子さんが、15年前に東京駅構内のコンビニエンスストアの店長をしていた時、万引き犯を見つけたので、呼び止めますが逃走されたので追いかけたところ、ナイフで刺されて命を落とすという事件に巻き込まれてしまいました。犯人は現在、無期懲役の判決を受けて服役中です。

「私が息子を殺した犯人を赦すことができるとしたら、それは犯人が死んだ時か、私が痴呆になった時でしょう。」と語られた話を聞きながら、一人の人の命の重さに対して真剣に向き合わせられました。

命とは神様から一時的に預かったものです。与えられた使命を果たすために、大切に使わせて頂きたいと思わせられました。

みなさんも、きっとあの15年前の事件を覚えておられると思いますが、命を落としたコンビニの店長は立派な行動を取ったと思います。その意味では使命を果たされたと思います。しかし同時に、同じような立場に立たされた時にどのような態度を取るべきなのかを考えさせられます。

次に、講師は二次被害について語りました。息子を失った悲しみに打ちひしがれている時に、配慮のないマスコミの取材にとても傷つけられたそうです。

例えば、「お子さんが3人いて良かったですね」と何気に言われた言葉に、「子どもが3人いるなら1人くらい死んでもいいってことかよ!」と憤慨する思いで一杯になったそうです。

人を励まし、慰めようという意図で語られた言葉であったとしても、相手の置かれた環境や心情を慮りながら言葉を発する必要があるなーと思います。言葉数を減らして、じっと相手の悲しみややるせない感情に寄り添い、耳を傾けるだけでもいいかも知れません。

子どもを亡くすということは、講師の息子さんのように殺害されたのではなくても、交通事故でダンプカーにひかれて子供をなくしても、悲しみの大きさは変わりありません。

「息子のことは一生忘れることができません」と言われましたが、その通りだと思います。

そういう大きなできごとに対して軽々しく発言することは避けた方がいいことは言うまでもありませんが、同時に、普通に接すること、そして、自分のことのようにその痛みを感じながら、神様から与えられた慰めや励ましを語らせて頂くことができたら幸いだと思います。

私は牧師ですので、教会では、人を無条件に赦すことを奨めます。しかし、私自身、人を赦すことの難しさに長年向かい合ってきました。

口で「赦します」と言えても、感情がついてこないのです。時が解決してくれる場合もありますが、どうやっても赦すことが難しいできごともあります。それだけ傷が深いから仕方ありません。しかし、傷を引きずっている限りは、どうしても前に進むことができません。

赦すことで傷がいやされ、そのできごとを後にして前に進むことができます。

赦せないという人の痛みに寄り添い、いつかその人が赦せるようにと祈りながらも、自分自身は赦しに向かえたら幸いです。

赦しは最高の治療薬であり、過去を教訓にし、宝に変え、前に向かわせる妙薬です。

赦し難きを赦し、不可能を可能にする力を与えて下さるのは神様です。

今日もその方に祈りながら、与えられたたった一つの命。そして、たった一度の人生を最高に生きてまいりましょう。

今日も、素敵な一日でありますように。
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