午前9時30分頃に、エアデールのグレイスの運動と私の朝食を兼ねて洋菓子店のテラス席へ向かった。午前9時40分頃に自宅のそばにある公園を通過した。
この日も蝶たちが飛び交っていた。上下同じ画像だが、青マルの中に蝶がいる。画像を拡大してね(笑)。
午前10時頃に洋菓子店のテラス席に着いた。
キター!
モーニングセットだよ。茹で卵、ブルーベリー入りヨーグルト、サラダ、トースト、ドリンク(店指定のモノから選択…ホットコーヒーを選択)がセット内容。トースト用に蜂蜜と苺ジャムが添えられている。
ハヤクチョウダイ!
午前11時頃に長瀬川緑地へ。
アオサギ
この日は、いつものアオサギ君以外の水鳥は見かけなかった。緑地を後にして、11時20分頃に帰宅した。
この日の朝に行った洋菓子店で買ったケーキを夜にグレイスと食べた。グレイスには少ししか与えない。
まず、フルーツのショートケーキから。
次にシュークリームを。
最下部の記事のこと。保護者に批判的なコメントに対して、「親を責めるな」だとか、発達障害(注意欠如・多動性障害のことか?)を言い訳にするコメントを多くみる。また、「冷たい世の中になった」という訳の分からないコメントもある。
鉄道の駅で走り回ることや飲食店等の設備等を破壊する(器物損壊)ことに対して、おおらかになれというようなことをほざく奴が多すぎて呆れ果てる。
中には、子供は障子を破るものだから破れない障子にしていない店が悪いという本末転倒というか、天地が逆さまなことをいうヤカラが多くいるのにはビックリする。「天地無用」の意味をとり間違えるようなアホがウジャウジャいるようで気持ちが悪い世の中になった。「天地無用」→
http://whitebear0930.net/archives/11056
世の中を腐らすヤカラのことを書くのもバカバカしいけど、少し書いてみる。だが、いつものように起承転結等に気を付けて書けないので(笑)、話がアッチ行きコッチ行きして、とりとめの無い内容になるかも(笑)。その前にワンコ関係の記事を。
散歩中のワンコ、路上演奏に聴きほれる
https://videotopics.yahoo.co.jp/video/vtps/114060←ゴールデン・リトリーバ一が動かずジッとしている前を一瞬横切るエアデール(笑)。
歴史の中の軍用犬 ナショジオ
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20140521/398334/?P=3&ST=m_magazine 4枚目(4/6)の写真→整列してジッとしている犬たちの中にエアデールらしきワンコがいる。
こういう画像を見ると、グレイスの担当訓練士だった警察犬訓練所の所長がグレイスの訓練半ばで若くして亡くなり、その葬儀で出棺を見送る際、グレイスを始め警察犬として訓練を受けていた犬達は整列してジッとしていたが、アジリティの訓練を受けていた犬達は動き回っていたことを思い出す。タイムを競うアジリティ競技では走り回らなきゃいけないのだが、ジッとしていないとイケナイ時はジッとしていないとね…。
ついでに他の軍用犬の記事。
http://www.savag.net/dogs-showing-faithfulness-and-courage/ グアム島にある米軍の軍用犬墓地の碑の上で前方を見つめながら伏せているドーベンマンの「クルト」から、ウチにドーベンマンがいたこともあって私のハンドルネームを拝借している。
犬も退屈は苦痛です──刺激が少ないと脳が縮むと研究結果
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8340.php
4〜5歳の知能レベルしか持ち合わせないと言われている犬ですら、トレーニング次第で動いてはイケナイ時は動かない。また、「犬も退屈は苦痛です…」ということらしい(笑)。そりゃ、人間でなくとも退屈だと感じるだろうな。人間もワンコも若い時は、退屈は苦痛でしかないのかもしれない。だから、ジッとしていられないのだろう。
逆に言うと、脳の発達が目覚ましい時期はジッとしていられないのかもしれないな(笑)。
人間の子供が大人に連れられて何処かへ行く。あるいは、犬が飼い主等に連れられて何処かへ行く。そのことで取り敢えず退屈は紛れる。だが、自宅の外へ出た途端に更なる欲望が沸き起こる。
意味も無く、早く行きたい。何処へ行くかということもロクに分かっていなくとも早く行きたい(笑)。「せまい日本そんなに急いで狭い何処へ行く」という交通安全の標語があるが、日本が狭い国土だということを知らないにしろ、慌てるなということは人間の子供にも犬にも言葉だけでは無く、実力行使してでも諦めさせないと駅での重症事故のようになる。いや、この事故は死んでいても不思議でなかった。
駅や飲食店だけでは無く、保護者等は子供の行動に四六時中注意を払っていなければ子供は何を仕出かすか分かったものでは無い。兎に角、根負けしないことが子供の為だ。
躾は、生活規範及び社会規範や行儀作法を身に付けさせるだけでは無く、人間としての心身のコントロールができるようにする為にも必要で、脳や心の発達にも寄与すると私は確信している。
犬の躾や訓練も、それと同じ。だが、人間の子供と違って、言葉が通じない。語弊があるかもしれないが、そういう点において犬のトレーニングは人間の子供のそれより難しいかもしれない。
言葉が通じない犬のトレーニングでは、指示した行動と違う行動を犬がしようとしたならば、瞬時に行動を正すというのが鉄則とも言える。行動が正しいか誤りであるかはハッキリと伝えなければならない。このことは、言葉が通じる人間の子供の躾でも同じ。
もし、誤りであるのに何もしないでいると、犬は勘違いする。人間の子供も同じだ。してはイケナイことを何度でも平然とするようになる。
それをズボラで思慮の浅い者は、「子供には無理」だとか、「子供は言っても聞かない」、挙げ句の果ては発達障害等のせいにして放置する者もいる。
交通量の多い道路の横断歩道を発達障害の子供と歩いていて、繋いでいる手を放してしまうバカが何処にいる?平気でそんなことをする者がいるなら、子供を殺そうとしているとしか思えない。
客として訪れた店等においても、それぐらいのつもりで利用していないのならば、「未必の故意」による損壊としか思えない。子供を充分に監視せずにいたら、結果がどんなことになるか推測できるはず。
グレイスは、いずれ母犬のアトリと同様に警察犬協会の訓練競技会に出す予定だったが、それとは別に人間との日常生活における馴致として、ほぼ躾が出来た後に母犬が以前から通っていた知人がマネージャーをしていたドッグカフェへ母犬と一緒に連れ行くようになり、飲食店でのマナーを実践させながら強化していった。
もし、目を離してもせいぜい他の犬と犬同士の挨拶程度のことしかしないだろうが、ドッグカフェなら未だしもフルコース料理を楽しめる普通のレストラン等でそんな行動をされてはマズイので、例えドッグカフェであろうとも動き回らないように監視しながら飲食していた。
子供を監視できない親は飲食店だけでは無く、その他の店舗にも子供を連れて行かないようにしたらどうかしらね?色んな公共の場所へ子供を連れて行かざるを得ないのならば、キチンと監視したらどうかしらね?
発達障害とは違うが、2歳未満で視聴覚を失い言葉も話せない三重苦のヘレン・ケラーも両親がワガママに育ててしまって、気に入らなければ暴れる子供だった。アン・サリバンが、その闇の中で生きるヘレンを救った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%BC
小学校か中学校で、ヘレン・ケラーとアン・サリバンを描いた映画「奇跡の人」(1962年)を初めて観たときの衝撃は忘れられない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E4%BA%BA
ヘレン・ケラーとサリヴァンの奇跡とは何か?
https://matome.naver.jp/odai/2137375074021312601
https://matome.naver.jp/odai/2137375074021312601/2137400018704584803 ヘレンに少し理性が身に付いたというだけで親はアンに理不尽とも思える要求をする。アンが言うように中途半端に元の暮らしをすると、やはりヘレンは傍若無人な振る舞いをした。ヘレンの親はヘレンの真の幸せのことなど思考にないようで、目先のことに囚われて事の根本を見ないという愚の骨頂のような親らしい。
反対に、教育のプロとは言えども全くの赤の他人であるアンは身命を賭してヘレンと対峙する。アンのような子供に対する接し方が出来ない親は親では無いと私は思う。
他にも子供に関しての記事が…。
4歳が電車と接触し転倒、頭骨折 横浜、東急田園都市線 (朝日新聞デジタル - 09月09日 23:17)
http://mixi.at/aeFi3BW
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017090901001877.html 別記事。祖父と妹と出かけて帰宅するところだったらしい。自宅の最寄り駅に降り立ち嬉しくなって思わず走り出したのか?
4歳児が走った理由が記事に書かれていないが、この年齢ぐらいの子供は、(大人にしてみれば)特に理由もなく走り回ったりすることがあるのはマトモな大人なら想像がつく。
マトモな大人も、乗り換えやその他の都合で駅構内で走ることもあるだろうが、子供は大人と違って、背丈が低く視界も狭いし、周囲の状況を把握しながら走ったり止まったりということをせず、他の人や物に衝突することなど殆ど考えもせずに突っ走る。
混雑等の状況によって、ずっと手を繋いでいる訳にはいかないこともあるだろう。大人ひとりで左右の手で子供の手を掴んでいるとカナリ幅をとるので他の人の迷惑になるかもしれないが、手を放して今回のように電車を30分も止めて損害や大迷惑(本人が死のうが大怪我しようが自業自得)をかけることを考えると手(あるいは体の一部)を放さないほうが最善かな。
今から約50年前、私は独りで幼稚園と小学校へ電車で通った。幼稚園への通園は自宅の最寄り駅の改札口まで母親が見送り、降車駅の改札口で幼稚園の職員が待ち構えていた。小学校への登校は父親が車で送ってくれたので満員電車に乗らずに済んだが、乗り換えのバスは同じ学園(当時、短大まであった)の女子学生で満員。地獄のような天国のような(笑)。
「走るな」、「知らない人に付いて行くな」等、コンコンと言い聞かされていた。今は幼児をイタズラ目的で連れ去ることも多いが、当時は身代金目的の誘拐が殆どで、結果は最悪なことが多かったと思う。
電車の運転席(当時の車両はガラス張りが殆ど)の真後ろからカブリツキで速度計と前方等の景色を見つめる楽しみがある反面、周りは自分の倍ほどの大きさの大人だらけで、ぶつかられるとコチラが転倒するのは目に見えている。ある時、車内で私がウッカリ男性の足(靴)を踏んづけたら、その男性は私の足を思いっきり勢いをつけて故意に踏んづけやがった。
兎に角、子供の私にとっては危険だらけの戦場のようだった。軍隊なら遊軍や援軍もいるが、自分独りで自分の身を守るしかない状況だった(笑)。
そんな私から見れば今の子供は幼稚過ぎる。今から約20年前に、ちょっとした事情から卒業した高校の部活(ハンドボール)の指導というほどのことでは無いがOBとして練習を見に行っていたことがあるが、挨拶すら出来ない幼稚園児以下のガキだらけで手を焼いた(笑)。
そんなガキらも40歳近くになっているハズだから、結婚して子供もいることだろ。そんな幼稚な奴らがマトモに子育てが出来ているとは到底思えないな(笑)。腐ったミカンの連鎖がコワイな。悪貨が良貨を駆逐するようなことは真っ平ゴメンだ。
注意欠如・多動性障害
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E6%84%8F%E6%AC%A0%E9%99%A5%E3%83%BB%E5%A4%9A%E5%8B%95%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3
監督義務者の責任
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E7%BE%A9%E5%8B%99%E8%80%85%E3%81%AE%E8%B2%AC%E4%BB%BB
倒れた妻放置か、医師を逮捕
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4761144 これは保護責任者遺棄という犯罪だが、子供が走り回ったり他人の物を壊したりするのを放置することと大して変わらないような気がする。
最下部の記事で、『子どもを持つことはこんなに大変』と尻込みさせる影響を後押ししたのではないかと店主が気にするが、それぐらいのことが大変だと思う者は子供を持たないほうが子供や社会の為だと思うな。
子どもの設備破損、保護者が何も言わずに帰る 議論を呼んだ「子ども連れ入店お断り」 保護者がカフェに謝罪
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1709/09/news029.html 元記事
子どもの設備破損、保護者が何も言わずに帰る 議論を呼んだ「子ども連れ入店お断り」 保護者がカフェに謝罪
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4758039
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