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2017年09月17日14:49

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孤独死は、我々が選択した、正解かもしれません。

孤独死をもたらす、都市の制度はさまざまあります。

1 マンション
35歳でマンションを買ったとします。ローンを払い終わるのは、60くらい。
今さら他に移れません。
お金の余裕がある人は、ローンを払い終わって買い替えるでしょう。子どもや孫と同居する人も、そうなるでしょう。
だから、老人だらけのゴーストマンション寸前のマンションができ、町内会の役員の成り手がいないということになります。

2 コンビニやスーパーマーケットの発達と、商店街の衰退。
商店街は、付けも利くほどの濃密な関係性があります。それをウザいと感じる人が増えて、一軒一軒回るのが面倒くさい人が、コンビニやスーパーを育てました。何も買わず、ブラブラ出来るので、ウィンドーショッピングのようなレジャーにもなります。当然、店員との関係性は育ちません。

3 町内会の衰退。
これもまた、面倒なのでしょう。以前住んでいた田舎で、私は。日曜の少年野球の監督候補に上がったり(無報酬で日曜をつぶせるわけがありません。よっぽど野球が好きな人なら別ですが。)、変な町内の会館のために、五千円取られたり(おまけに、自動的に、その会館が立つ神社の氏子にさせられたとかいう噂がありました。共産党あたりに相談しようと思いました)…どっちにしても強制です。こんなシステムがある方がおかしいです。

…とさまざまな要因で、地域から孤立し、
(家族関係の希薄化は、言うまでもないことですが)
孤独死が増えているのでしょうが、
これらは、当の老人が自ら望んだことではないでしょうか。

私もそろそろ親の介護に直面する年齢です。
だから、友人知人の例を調べていますが、
これはという、人格者や聡明で先が見えるタイプの尊敬するべき人は、全員、親と同居していません。
せいぜいが近くのアパートやマンションに引っ越しさせて、通いで面倒をみる程度です。
その方が、家族も本人も幸せだという判断で、それは正しいでしょうね。

上に挙げた、都会の孤独死しやすいシステムも、みんなが自ら選んだ正解なのでしょう。

死に関して言うと、先にお書きになっていた方もいらっしゃいますが、病院で死ぬのが孤独ではないから幸せであるとは、到底言えません。
それを言うなら、
これから死ぬということを人間は認知するのか…を研究してほしいです。
たとえば、悪い予感というものがあります。
それは、しばしば外れます。

外れないような死の予感があるのか。その時に、家族と会いたいのか。

想像に過ぎませんが、家族が元気で、別のところ(病院に対する自宅、自宅の自分の部屋に対する他の部屋、自宅に対する家族の出張先や嫁ぎ先…)で元気にしているなら、いい。何も手を握って励まされるところまでは願わないだろう。
そんな気がします。



「孤独死」進む地域の独自対策
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4768717
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