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2017年09月13日23:52

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【映画】三度目の殺人

久しぶりに、感想を書きたい気持ちにさせられた作品。
傾向が似た作品としては、

「悪人」
この作品のファーストシーンを取っ払って、真犯人が判らない状況を作り出し、犯人(とされる人物)が第三者から裁かれる過程を描いたと解釈すると、結構、似通っている。

「終の信託」
人の行為を第三者を裁くということの難しさという意味では、こちらの作品も、かなりテイストが近い。役所広司つながりでもある。

上記2作品を観ているかいないかで、本作の評価、解釈、主題に対するアプローチの度合いは、かなり、変わってくると思うので、未見の方は、併せてご鑑賞頂きたい。

手短に言ってしまうと、本作で描かれているのは、司法/人の行為を第三者が判断する制度の難しさと限界についてであり、事件の真相は、刺身のツマくらいでしかない。

弁護人は、依頼人(加害者)が真実を述べてくれるという前提で活動し、それを踏まえた上で、どう切り取れば依頼人が有利な状況に持ち込めるかという立場で動く。
逆に、検事は、事件の真相究明もさることながら、最終的な着地点は、被害者の救済の最大化であろう。
法廷に於ける裁判官は、この両者のパワーバランスを斟酌して、判決を導き出す役回りだ。

ところが、意地悪な事に、本作では、「真実」は、何も示されていない。
真実の拠り所とされる、自白の内容が、二転三転しているし、目撃証言もなく、実は、物証も乏しい事が作品中で明らかになっていく。

そういう意味において、本作は、弁護士たる重盛が、犯人とされる三隅の証言に翻弄されて、「真実」という迷路に迷い込んでいく過程を描いている。

はっきりしている事は、

1_タイトルが示しているのは、「三隅自身の望む死」であること。
2_真相究明を望まない人物が被害者サイドにいること。
3_現行の司法の仕組み自体が、真相究明の道を放棄していること。


1については、比較的、気づくと思われるが、2・3を見落としてしまうと、本作の主題を見失い、観客は、本作の主人公よろしく、解釈の路頭に迷う事になるだろう。
むしろ、観客にそういう類の、精神の袋小路を体験させることが、監督の主旨なのではないか?


ラスト近く、三隅は重盛に語りかける。
「そういうお話だったら、綺麗ですね」

つまりは、重盛が思い描いた筋書きは、真実ではない事を匂わせているし、三隅にとっては、真実など、どうでも良い事なのだ。

「私は死ぬので、あとは、皆さん勝手に論評してください。」

まぁ、どこをどう悟ると、こういう境地に至るのか、皆目、判らないが、そういうものさえも、世間が納得する形で決着をつけねばならないのであるから、つくづく、人が人を裁くというのは、難しいものなのだと痛感した。









ネタバレ)
斉藤由貴の怪しさには、誰でも気づくだろう。
ところで、広瀬すずは、本当に純真無垢なのかな?
彼女すら、真実を語って居ないとしたらどうなるだろうか?
そして、それでも、立場が揺るがない位置に居る人物は誰なのかと考えていくと、やはり…
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