「イズヴェスチア(報道=ソ連政府機関紙)はあってもプラウダ(真実=ソ連共産党機関紙)はない」これは旧ソビエトで流通した有名なジョークである。
「報道はあっても真実はない」。これはいつの時代、いかなる形態の政府であってもありうることである。そのような世界の中で生き抜いていくには必ず「最悪の事態」に備えるということだと思う。
「最悪の事態」とは何か。北朝鮮のミサイルが飛んできて死んでしまう。しかし私はそれを最悪とは考えない。なんか過度の楽観論とかどの悲観論が現在流通しており、「現実的な対応」が語られていないような気がする。まず北が絶対にミサイルを撃たないとは考えないこと。そんなことは「わからない」のである。一応飛んでくるとして「助からない」と「信じる」のも如何なものか?現実はグレーに推移することが多い。ミサイル後に生き残る、ということこそ、「最悪の事態」ではないか?
それは直撃されたら難しいかもしれない。しかし10キロ先、20キロ先に落ちたらどうだろう。その可能性の方が直撃よりずっと高いと思う。
私たちは、すでに「原発事故」を生き延びている。読者の中に「死者」がいないことを想定すれば。そんなこと、事前に想定できただろうか?
とにかく閃光(ピカ)を浴びる可能性を避ける。私はすでに雨戸を閉めている。これで、閃光を直接浴びる可能性はだいぶ下がる。放射線の中でもアルファ線やベータ線は割と簡単に阻止できる。中性子線はよくわからないが。「雨戸」は結構有効な「防具」だと、私は考える。常識や「報道」に惑わされず、キチンと考え、打てる手を打つことが重要だと思う。
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