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2017年08月27日07:41

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白洲次郎と吉永小百合

叔父が亡くなり、昨日は通夜、
今日は告別式と2日に渡って見送ってきました。

母の妹の夫なのですが、同じ庄内の出身なので、帰省すると母のところにも顔を出してくれて、
子どもの頃の私たちにはとても近い存在の叔父でした。

ダンディでカッコイイ叔父さんだったので、
その2人の息子達(従弟です)もカッコイイ大人の男性になっていて、
でも叔母に言わせると、「ダメよ、私の血が入っているから。」と。
いくつになっても叔父にベタ惚れだったのでした。

叔父は、自分で立ち上げた会社で83歳まで現役で働き、88歳の今年亡くなったのですが、
孫たち(これも男3人で、まだ小さいのですが、皆将来のイケメンの片鱗がすでにありました)が
お爺ちゃんを大好きだったことが分かり、幸せな人生だったのだと感じました。

その叔父の兄がなんと93歳でまだお元気なのには驚きでした。
足腰もしっかりしていて、通夜にも葬儀にも皆と同じように参加し、
精進落としの席では挨拶をし、献杯の音頭を取ったのでした。

それだけも驚きだったのに、近くの席で伺った話がすごくて。
玉川学園で先生をしていた時代に、白洲次郎、正子夫妻の娘、桂子さんを担任し、
彼女が風邪で長期欠席した時に家庭訪問をして、次郎氏とお話したのだそうです。
次郎氏は、桂子さんの同級生で、白洲家まで案内してくれた子の名前をちゃんと知っていて、
その子が帰るときにちゃんと名前を呼んでお礼を言っていたことに感心したそうです。
帰り際に正子さんに名刺を渡され、そこには白洲正子としか書かれていなかったとか。

叔父の兄のその方は、戦時中の師範学校では勉強不足だったので、
もっと勉強したいと早稲田の第二文学部に通っていたそうなのですが、
私立の学校では夜遅くまで仕事をすることが多く、
ちゃんと学校に通いたくて公立に替わったそうです。

その都立の小学校で吉永小百合さんを受け持ち、
授業での子どもたちの声が小さくて、もっとしっかりと声を出せるようにと劇を行うことに。
当時は戦後ににわか作りの校舎で、講堂とか体育館とかなかったため、
近くにあった少年院の行動を借りて劇の発表をし、
それが結構評判になり、新聞の地域版に載ったのだとか。

そしてそれをきっかけに、小百合さんが演じることに興味を持ち、
NHKの赤堂鈴之助のオーディションを受けるきっかけになったのだそうで、
テレビでそのことを取り上げられたことがあって、
恩師として手紙を寄せ、その番組で読み上げられたのだそうです。

自分で、このごろ年取って来たなあなんて思っていたけど、
こんな大先輩のお話を伺い、まだまだひよっこだなあと感じた次第。
叔母のところに遊びに行って、叔母の話やこの方の話をもっともっと聞きたいと思ったのでした。
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