南の帝(想像図)
【質問 kérdés】
西陣南帝って誰?
Mi az "Nyugati Táborban Déli Császár"?
【回答 válasz】
応仁の乱の折,東軍は後土御門天皇・後花園上皇を擁していた.
そこで西軍が「朝敵」のレッテルを貼られないよう,対抗して担ぎ出したのが,南朝の皇胤とされる「西陣南帝」である.
尋尊の日記「大乗院寺社雑事記」では伝聞情報として,小倉宮の末裔,岡崎前門主の子息であり,すでに法体かと述べられている.
文明3年(1471年)8月26日に入洛し,北野松梅院に入ったが,担ぎ出しに一番熱心だった山名持豊が文明5年(1473年)3月18日に死去すると,和平交渉において都合が悪いため,また,西軍の中にも足利義視など擁立反対の者がいたことなどから,放擲されて各地を放浪.
文明11年(1479年)7月19日に越後から越前に到達したことを最後に,史料から姿を消した.
詳しいことは
森茂暁『闇の歴史 後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉』(角川ソフィア文庫,1997年)
を読め.
ちなみに「熊沢天皇」は,この「西陣南帝」の子孫だと自称している.
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