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2017年08月17日11:59

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ボトムアップの地域おこしを

過疎地で若者雇用 新制度検討
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4720496

従弟はいろいろな仕事に関わった関係で、林業にも詳しくて、盆に話したのは従弟が主になってしまった。料理もほとんど手をつけるのを忘れていた・・・。

山の木を伐採してもトントン。立米あたりいくらで〜と言っていた。
陶芸の窯用の木材を売った話とか。
植林にまで手を出せるような、循環型にしないと財産を食いつぶすだけという話も。
地域には、そういう事を話すグループがあるらしい。
いかに立米あたりを高く売るか・・・それが求められているかもしれない。
集成材にしても、島根だったか鳥取だったかに出荷して集成材に加工するらしい。
農業と同じで6次産業化が必要なのかもしれない。
生産地で、加工・製品化しないと利益は出にくい気がする。

間伐材の話が出たので、ログハウスの話も出た。
30年近く前に、ログハウスの設計の手伝いをしたことを思い出した。

バイオマス発電は、うちの田舎でもやっていた・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=CB4IwE1pRL4


矢幡治美氏の話をしてもキョトンとしていた。
世代の差なのか・・・。

『■大山農業のカミサマ
  大山の基本設計をした人は矢幡治美です。
  村長と農協組合長を兼ねて16年、農協組合長だけだと33年の長きにわたり、”大山の父”と呼ばれた人です。1993年に81歳で亡くなりましたから、今では”大山のカミサマ”になりつつあります。
  大山村の農協組合長を引き受けた背景には、人生の師であった金光教会日田教会の堀尾保治協会長の言葉があったのかもしれません。自分の家族を大切に思う人は多いが、それを超えてさらに周囲の人びと、ひいては村ぜんたいの人びとの幸福を願うのが真の信心だ、と堀尾保治教会長は語っています。
  こうして矢幡治美は一人の資産家から、村のために人生を賭ける公人となったわけです。

■希望を説く
  1950年代は日本中が敗戦後の貧しい時代でしたが、とりわけ山間の大山は農業収入が大分県最下位。もともと土地が少ないために明治大正時代から山林労働や出稼ぎの現金収入で食べてきた村でした。そうやって農業収入が少ない上に戦後の経済的逼迫で現金収入の道まで断たれたのですから貧しさの極みと言えます。
  栄養失調で青ざめ疲れきっている人びと。結核患者が多い、けわしい地形での重労働で足腰を傷めた老人が多い。そんな人たちに何を語っても、言葉が空しく吸い込まれていく気がしたにちがいありません。それでも矢幡治美は役場と農協の幹部ともども毎晩毎晩、各集落をまわって、あなたがたは農協に何を期待するかと尋ね、また、私たちの将来ヴィジョンはこうだと説いて歩きました。組合長になってからには後に退けない。ピンと張り詰めた緊張感が漂っていました。

■コスト計算
  「 これから先の時代、コスト計算ができれば農業は必ず儲かる」と、かつて農業で全国表彰されたことのある大分メンテナンスの社長、谷口来さんは断言します。「農家が稼げないのはコスト計算ができないからだ」と。大山の設計もこのことを証明していると言えます。矢幡治美は造り酒屋の後継ぎであり、製茶などの事業を手がけてきたバリバリの経営者でした。おそらく戦後の日本で最初に、農業にコスト計算を導入した人物だったのではないでしょうかと思います。

■信念
  1962年(昭和37年)山間の地に最も適した作目として大山はウメとクリを導入しました。それも、なまじの決意ではなかったのです。何年もかけて周知に調査し、村の人たちには一軒ずつ口コミの情報を流し、各団体ごとに研修に出てコンセンサスを取り付けた結果でした。

■読み
  大分県の山の中に居ながら、大山の人たちは30年後の日本の食生活を予想していたフシがあります。それは本やテレビによる情報ではなく、ヤハタハルミというセンサーが1959年(昭和34年)という早い時期から何度もアメリカへ行ったせいだといえます。その頃は一般の人がアメリカへ行く機会などほとんどありませんでしたが、日田市の大河原病院院長が同級生だった縁で、矢幡治美は病院の事務長に化けたわけです。かくして世界医師会があるたびに医師団に加わり、欧米を貪るようにしさつして回りました。モノがあふれ、生活がゆたかだけれど、公害やストレスの問題を抱えているアメリカの都市。高齢化がはじまり、生産性が落ちてみんなが高い文化を楽しんでいるヨーロッパのまち。日本がいつかたどっていく道だろうと、矢幡治美は鋭く読んでいました。』
http://www.oyama-nk.com/rinen/sekkei.html

田舎は貧しい・・・と言うのは、都会の感覚かもしれない。
コスト感覚で、地域が立ち上がればそれが特産になることも。

上勝町や馬路村の成功は知っている人も多いと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=ejafX9q0SGs

「Think Globally,Act Locally」 平松守彦

ちなみに、一村一品は大山町の成功から学んだ手法である。
トップダウンで「補助金をやるからこれをやりなさい」とするより
ボトムアップで「うちの地方はこれができる!」と言うものが必要なのかもしれない。
都市部で企業に勤めた方が、地域に戻り起業をしたら面白いと思うのだが・・・。

大河ドラマの直虎をよく見ているが、借金まみれで困っている領主と領民。
コスト感覚のある、瀬戸方久(ムロツヨシ)が綿花を育て木綿を作ることを勧めたり、木材が売れると話したり。

もちろん、地域の人はいろいろ考えていると思う。
異業種や違う地方出身の人のほうが、違う視点で見れて良い案が出るかも知れない。
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