私は、数学は全くの素人です。
しかし、数学の楽しさ、可能性を訓練する場として創作折り紙は、素晴らしいのではないかと思います。
間違っていたら訂正してほしいのですが、どんな二次式も必ず因数分解できると聞いたことがあります。
ひょっとしたら、折り紙はどんな形でも造形できるのではないでしょうか。
もしも、造形できないとしたら、その条件は何なのか。
大変興味をそそられます。
頭で理解できることと実際に出来ることは違います。
理屈はわかっても出来ないという壁があります。
その壁を突破するために何が必要なのか。
一つは演習量。
もしも理論で突破するとしたら、あっという間に学問の奥義に達します。
たとえば、
今、夏期講習でやっている文章。
古文が好きな人はほんの一握りでしょうが、簡単な文ですから、おつきあいください。
(空に左大将に危害を与える星が出ていると冗談を言ったら、本当に大将は死んでしまった)
「人の命を失ふことは、、皆前世の報いとはいひながら、よしなからむ戯言いふべからず。かく思ひ合はすることもあればなり。」
この文章の後半を訳させると
× 風情のない冗談を言うべきではない。このように思いが合うこともあればである
という間違いが出ます。
頭で理解しようとするだけではなく、折り紙を折るように、実際に自分の手で鉛筆を動かして訳を作らないと、自分の理解の浅薄さが分かりません。
壁とは、理屈ではなく体験だからです。
たくさん読んで馴れる
または、
前の状況に引っ張られて意味が決まるということを理解すれば、
あるいは、
「よし」(寄すからきた言葉。物事を関係づけていくこと。言われ、理由、由緒、風情)
「合う」(合うこと。思いが合うということはどういうことかを考えればいい)
の語源的な意味から考えれば、
〇 くだらない冗談を言ってはいけない。このように思い当たることがあるからである。
という正しい訳ができます。
以上はほんの一例ですが、
「マニュアルに走って、自分でやらない。汗を流さない。」
「解き方を知りたがるが、解き方が通用しないところにぶち当たって苦労したくない。」
という風潮が、日本の学生をダメにしていると思います。
おもえば、
女流文学、歌舞伎、狂言、アニメ、漫画。
全ては無償の大衆文化です。
和算の関孝和は、導関数を発見したというとんでもない人です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%AD%9D%E5%92%8C
しかし、和算は、国家予算がついたわけではなく、マニアが月謝を払って弟子入りしたという、ディレッタントの世界でした。
無償だからこそ、高度な文化が花開く。
この折り紙も、数学的な新しい発見はないと思いますが、
若い人の知性を大いに鍛えてくれる無償のモノでしょう。
『和泉式部日記』が、淫乱女という非難を浴びても、素晴らしい和歌を残しているように、
女子高生のパンツまで折るのは、オタク、ヘンタイ、の類に見えますが、
だからこそ、純粋です。本人にしかわからない空間把握の喜びがそこにあるからです。
https://togetter.com/li/1140056
このサイトの、折り鶴展開図の下に、パンツの写真があります。
東大生が「女子高生の折り紙」を1枚の紙で折りあげる神業! どうやって作るのか製作者に聞いてみた
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4720043
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