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2017年08月16日09:47

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靖国に参拝しろ!って言う国民の声があるって言うのは結局太平洋戦争に対する対外的な反省はない。って言う話だよね。


転載 https://ameblo.jp/boumu/entry-11901583789.html

いつの世にもワンフレーズ・ポリティクスの天才はいるものである。

最近では(と言ってももう大分以前になったが)小泉元首相がワンフレーズ・メッセージを多用し、名言・迷言多数残したが、「構造改革なくして景気回復なし」などと言われると非常に伝わりやすく、皆その気になってしまったものである。

しかし、まさにワンフレーズで日本の戦後を変え、現代に残る究極のワンフレーズと言えばこれであろう。

<一億総懺悔>

この一言こそが戦後日本の国体を築き、その一方で戦争責任の所在と謝罪を曖昧にし、今に禍根を残した原因であると思う。


この言葉を発した東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)首相(本人が考えたかどうかは知りませんが)はまさに天才的であると言えると思うが、これを易々と受け入れるところが日本国民の特質とも言えると思う。



ポツダム宣言受諾とともに鈴木貫太郎内閣が総辞職し,皇族の一員である陸軍大将東久邇宮稔彦王が内閣を組織したが、東久邇内閣は国民に対し〈承詔必謹〉と〈国体護持〉を説き,天皇制支配の維持に努めるとともに,〈一億総懺悔(そうざんげ)〉を主張し、天皇への敗戦の謝罪を唱えた。

※承詔必謹、国体護持については各自お調べ下さい。憲法にも関わる大変深い言葉で私には説明しきれません。

「・・・この際、私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならぬと思ふ、全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」(1945〔昭和20〕年8月30日付「朝日新聞」)

つまり戦争を始めた(そして破れた)責任は、天皇はもちろん軍でもなく政治家でもなく、国民全体である。
そこには責任の所在は全くなく、敢えて言えば東京裁判で責任を取らされた戦犯であるが、これも国内的には責任ありとはしていない。


これが日本とドイツの戦後処理の違いの根本だと思うが、今に禍根を残している原因だと思う。
一億総懺悔で全員に罪在りとしながら、じつは戦争を起こした責任も誰に責任があるかも認めてはいない。だから大東亜戦争は正義の戦い、欧米は侵略国とする歴史観が未だに残る。
さらに言えば、総懺悔した国民の多くはもう世をさり、今戦争について語る事の出来る人達の殆どは、総懺悔など知らない人達である。

「お前ら総懺悔してんじゃネエのかよ」「そんなの知らねえよ」などと言う漫才のような掛け合いにならなければ良いのだが・・・・・・・・「誰に」「何を」懺悔するのかをはっきり後世に残さなかったのは、日本にとっても周辺国にとっても不幸だったと思う。



一億総懺悔という言葉は非常に便利で、その後も何かにつけて責任の所在を有耶無耶にするために使われる。
こんな言葉に誤魔化されず責任の所在をはっきりさせる事が、日本にとって必要な事だと思う。

と言うよりも一億総懺悔が良いにつけ悪いにつけ、日本人の体質だろうか?
原発事故後の推移を見ているとそんな気がする。

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そうやって内内で誰もわるくないんだ!しょうがなかったんだ!を 何回も繰り返してるから、敵国条項外れないんじゃないの?

まぁ、そういう馬鹿国にして、アメリカに依存させようと言う魂胆があるんじゃなかろうかって気がしてきたよ。





■全閣僚が靖国参拝見送り=安倍首相、玉串料を奉納―北朝鮮情勢緊迫化受け
(時事通信社 - 08月15日 20:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4718491
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