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2017年08月12日20:11

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 【質問】 ピリティ・マーチャーシュって誰?(下書き)

 【質問 kérdés】
 ピリティ・マーチャーシュって誰?
Ki az Pirity Mátyás?

 【回答 válasz】
 「マチ Matyi 」ことピリティ・マーチャーシュ(1911.12.28〜2003.5.17)は,ハンガリー生まれの航空機パイロット.
(写真1)

 1911年生まれのピリティは30年代,民間航空会社「マルヴェヴ Malvev」のパイロットだった.
 だが,ヨーロッパ情勢が厳しさを増す中,彼はハンガリー空軍に召集された.

 1939年春,ハンガリーとスロヴァキアの間で国境紛争勃発.
 ウングヴァル Ungvar 飛行場を基地とする第1航空団第1航空群第1飛行隊「Íjász (射手)」の第3ウィングに属し,CR.32複葉戦闘機に搭乗して出撃した.
 同紛争におけるピリティの最も成果を挙げた出撃は3/24のもので,この日,ピリティらのCR.32×3機は,スロヴァキア空軍のアビアB-534戦闘機3機に護衛された,レトフ Š.328爆撃機3機に遭遇.
 空戦により,ピリティが爆撃機を1機,他のCR.32がもう1機の爆撃機を撃墜.
 そこにアヴィア戦闘機が3機空戦に加わったが,この戦闘でハンガリー側は敵戦闘機6機のうち5機を撃墜したと主張している.
 この戦闘によりピリティはMagyar Érdemrend Lovagkeresztje hadiszalagon kardokkal(剣付きハンガリー十字戦功章)を授与されている.
 (写真2)はCR.32を背景にして立つピリティ.

 1939.11.30,ソ連がフィンランドに侵攻してソ・フィン戦争勃発.
 1939.12.7, ピリティ中尉とベーカーッシ・ヴィルモシュ Békássy Vilmos 准尉(写真4),そしてヴァダシュ・ラースロー Vadas László はフィンランド大使館に行き,義勇パイロットとしてフィンランド空軍に加わりたい旨,申請した.
 後にヴァダシュは申請を取り下げたが,残る2人は12.10,ブダペシュトの東駅を出発し,ベルリン,スウェーデン経由でフィンランドに入国した.
 彼は1940.12.16,フィンランド空軍入隊が認められ,フィンランド機での訓練を受けた.
 訓練機はグロスター「ゲームコック」,グロスター「ブルドッグ」,そしてJ-6B「ヤクトファルケン」.

 1月,ピリティらはスウェーデンからフィンランドへフィアットG.50戦闘機を空輸する任務に就いた.
 フィアットG.50は,冬戦争直前にフィンランドがイタリアに発注した航空機だったが,ドイツによる領内通過拒否により,フィンランド到着が遅れていた.

 2/8,「FA-3」にピリティは搭乗したが,悪天候のため空輸失敗.
 この日,同じ任務に就いたベーカーッシ准尉は,ボスニア湾上空で行方不明となった.
 悪天候によって失見当識となり,燃料切れで墜落したとみられる.
 2/15,今度は成功したかに見えたが,燃料切れを起こしてナーンタリ Naantali 近郊に不時着.
 地元住民に燃料補給を手伝ってもらい,ツゥルク Turku に到着することができた.

 輸送任務が終わると,ピリティはLLv 26(第26戦隊)に配属された.
 3/2,彼はフィアットG.50「FA-1」に搭乗して,彼としては初めての冬戦争での戦闘飛行に出撃.
 以降,ピリティは22回出撃し,SB-2爆撃機1機を損傷させたとされている.
 そして彼はフィンランドからフィンランド飛行章を授与された.

 停戦後,1940.3.28にピリティはフィンランドを去り,2日後にハンガリーに到着した.
 そしてハンガリー空軍に復帰.
 第1飛行群第102飛行隊に配属され,ユンカースJu-52輸送機のパイロットとなった.

 戦後,彼はソ連に一時抑留される.
 その後,帰国するも間もなくオーストラリアに移住した.
 スターリンに忠実なハンガリーのラーコシ政権にとっては,冬戦争においてソ連軍に抵抗したことは反革命であり,ピリティは反革命の側に身を投じたとしてブラックリストに載ることになったからである.
 オーストラリアにおいて彼は,フィンランド政府から改めてTalvisodan Muistomitali(冬戦争従軍章)を授与された.
 オーストラリアで移民が暮らしを立てるのは難しく,彼は同国では運輸省において政治漫画を描く仕事をしていたという.
 (写真3)は1950年代のピリティとその家族.
 娘のネオミ・タウンゼント(中央)は2004年現在も同地に在住している.

 1993年,ピリティはハンガリーに帰国し,晩年をブダペシュトで過ごした.
 2003.5.17,死去.
 葬儀は5.27に行われ,多くのパイロット仲間の他,フィンランド領事とその随行員も出席したという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=70091&start=3315
http://www.virtualpilots.fi/hist/WW2History-Inmemorian-pirity-English.html ※写真1〜3引用元
http://www.wysocki.hu/old/irasok/dok/ravasz_finn.pdf
http://magyarszarnyak.uw.hu/katrep_10/vagv_finn_hab.html ※写真4引用元
齋木伸生『フィンランド軍入門』(イカロス出版,2007)
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