はろー、
帰ってきたバリのマイルームのテラスから、
宇宙の子マサです。
さっきの記事書いて、
自分の過去を振り返ってみたら、
すごかったよ。笑
ちょっと書いてみるね。
まず、23歳のときに、
一番最初に行った海外、カンボジア。
行った理由は、
それまで働いていた運送会社での、
人間関係に病み、
人に心を開くことが、できなくなり、
『あっ、もうこのままでは、自分の心が死んでしまう...』
と、ある日、
自分の心からの最期の警告を感じ、
それでも仕事を辞めるということは、
ものすごく恐いものだったけど、
もうその選択しかなかったから、
こどもたちに会いにカンボジアへ行った。
そのあと、
てんつくマンとのご縁をいただき、
夢だった、
『地球のために何かしたい』が、叶い、
中国の内モンゴルに木を植えるプロジェクトの、
担当となり、
数年後に独立することになるのですが、
その理由は、
東日本大地震があり、
植林プロジェクトが無期限中止になり、(現在は再開)
僕らはみんなで、
僕の地元である宮城県に向かい、
そこで復興支援活動をした。
僕は本部スタッフとして事務局をしていましたが、
人には向き不向きがあり、
僕は復興活動に心を入れることができなくて、
しかし、各地からやってるボランティアの人たちは、
自主的にやってきてくれているので、
当然やる気があります。
そこで、みんなとの心の差が生まれ、
本部に対しても、
いろいろな意見を言われるので、
打たれ弱い僕は、
僕はどんどん疑心暗鬼になってしまい、
最後には、
ストレスから、
顔に吹き出物がたくさん出て、
僕はもうここにいることは出来ないと思って、
でも恐ろしくて、
その後もたくさん後悔や、
うまく行ってる仲間に、
たくさん悔しさも感じたけど、
独立し、
路上詩人としてお金を生み出し、
植林を続けていこうと、
真冬の極寒の東北仙台の路上に座った。
その後、東京に行き、
路上に座ることになったのも、
仙台では、まったくうまくいかず、
植林のお金を生み出すどころか、
自分の生活さえままならない状況に追い込まれ、
同じ路上詩人の仲間に、
東京はいいよ言われ、
最後の賭けで行ったことがきっかけ。
その後、東京を離れ、
沖縄で、
海の掃除が始まることになったきっかけも、
東京での大失恋がきっかけ。
失恋の傷を癒しに行った沖縄で、
経験も知識もゼロの、
関心さえなかった、
まさかの海の掃除が始まった。
そして、話しは、
一つ前の投稿に続く。
こうして振り返ると、
ぜんぶ『もうダメだ...』から始まってる。
自分から、
積極的に何かを始めたのではない。
最後の最後まで、
自分で決断することができず、
人生に引きずられるように、
ここまでやってきた。
これがもし、
あなたの人生の、
何かの勇気になってもらえたら、
書いてよかったです。
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