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2017年08月02日13:32

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8月の重い言葉

カレンダーを一枚剝すと8月の風景。花火やら海水浴の子供たちやらの画になった。

やたら馬齢を重ねては来たが、重ねることによって様々な人たちとの出会いがあった。何人もの著名人にも会ったが、印象深いのは何でもない市井の人たちから出た何気ない一言。72年前の8月から始まった『戦後』。その時代を生き抜いてきた人生の先輩たちの言葉を思い出す。

12年前の夏「60年間戦争がなかったのではありません。日本は世界で唯一、60年間戦争をしなかった国なのです。それを誇りにすべきなのです」と語ったのは、長崎で被爆した女性。安倍総理が聞いたらどういう反応をするのだろうか。
同じ長崎で被爆した男性が、やっと探しあてた親友は爆心地近くで被爆。いまわの言葉は「ぼくは何にも悪いことはしとらん」だったという。
広島で被爆した女性は「私はあの光景を決して誰にも話しません。地獄の底まで持って行く覚悟です」と言った。「話して欲しい」という言葉を思わず飲みこんだ。
同じく広島で被爆し、後に『原爆乙女』としてアメリカに渡り、ケロイドの治療を受けた女性がいた。「アメリカが憎いと思いませんでしたか」との私の問いに「アメリカが悪いのではないのです。戦争が悪いのです」と答えた。後世にこの悲劇を伝えたいと語り部になった彼女、オバマ大統領が広島を訪問した折りに面会している姿をテレビニュースで見掛けた。
戦後3年間シベリアに抑留された男性は、何度も「ぼくは幸運だった」と語り、辛い記憶や当時の悲惨な状況も明るく話した。楽天的な性格もあるのだろうが、苦しい記憶を追いやろうとしていたのかも知れない、とは時が経ってから思う。

原発事故の当日まで福島・富岡町に住んでいた友は「まだ現実なのに、人々の記憶から忘れ去られてしまうことが怖い」という。10万年という、とてつもない時間を要する処理が、日本人の多くの中で他人事のようになりつつある。事故からわずか5年あまりなのに…。

広島や長崎のヒバクシャや沖縄のひめゆり部隊の語り部たちも、戦後72年を経て次々に亡くなって、日本人から戦争の記憶が消えそうな状況。戦後生まれの私だが、語られなかった言葉を後世に伝えたい、と、ひしひしと思う。聞いた話を断片的につなぎ合わせて幾つかの詩も書いた。私にはその程度のことしか出来ない。所詮は自己満足だとの声もあるが、それでも書き続けたいと思う。いのちは何より大切なものだから。
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