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2017年07月30日09:08

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ジブリらしい、とからしくない、とかの議論は愚か。

■映画「メアリと魔女の花」はジブリ作品?それとも…
(AERA dot. - 07月29日 16:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4692431
まあ、キャッチコピーで、ジブリを継承する、みたいなことを書いているので、営業としてはそういうアピールは理解できるが、ジブリの過去の作品と比較して、このシーンは、ナウシカだとか、魔女宅だとか、といった指摘は、なんの批評にもなっていない。

だってなあ、ジブリのスタッフだったわけだし、監督も二作ある、アリエッティもマーニーもあまり世間の評判は高くはなかったのだが、私は米林監督の、誠実な作品作りを高く評価した。特にマーニーは、原作の批評、ユング心理学者の故・河合隼雄さんの批評(河合隼雄著作集4、岩波書店)を参考にしないとほとんどわからないのに、そのことを指摘した批評文があったのだろうか?

魔女宅には、滅びゆく魔女の血を受け継ぐ少女が、科学が新しい魔法となった現代社会をどのように生き延びていくのか?それを少女の自立の問題へと転写した面白さがあった。そしてこのメアリは、科学が発展した現代社会というよりも、魔法が暴走して現実が歪みはじめている世界を、たった数時間だけ魔女になった少女がつかのまの魔術で、その歪みを矯正する話なのだ。

魔女とは、反キリストの象徴だが、もっと現代的に解釈すれば、産業革命以降の男性優位主義に抑圧されてきたすべてのものの象徴であるだろう。そして暴走する魔法は、いうまでもなく自然や生死までコントロールできるようになってしまった現代科学の隠喩だろう。

いまの科学では宇宙全体のたった数パーセントしか理解できない、そういう謙虚さもなく暴走する科学は、原発の問題まで行き着いてしまった。

そのような考察を冷静にすべきなのに、やれジブリらしい、らしくない、とはなんなんだ?と思うしかない。そういう軽薄な頑固さこそ、知性の怠惰というべきだろう。

もうひとつ宮崎駿が大学時代心酔したイギリスの児童文学について、考えるべきだろう。アメリカにはアメコミとキングコングがあり、日本にはマンガ・アニメ・怪獣があるように、イギリスにあるのが児童文学、ファンタジーの伝統だ。19世紀に現代社会の規範を作り、世界を支配した大英帝国の影の部分を、少年少女を主人公として誕生したのが児童文学ではないのか?と思うのだ。

第一世界大戦後、世界の政治経済軍事の中心は、アメリカになり、イギリスは退潮の時期がつづくのだが、この30年、多文化社会としてイギリスはその文化を再生深化しようとしている、そのなかにあのハリポタの世界的大ヒットもあるのだ。

では日本はどうか?ジブリが牽引してきたものはなんだ?そのなかに米林監督もいたわけで、その流れのなかに今回の作品もある。そのような視点をもたないと、ジブリとそっくりとかそうじゃないとかの分析はなんの意味ももたないだろう。
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