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2017年07月16日08:00

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汝らのうち、罪なき者まず石をもてこの者を擲て

■妊娠した高校生に卒業支援を
(毎日新聞 ‐ 2017年07月14日 23:18)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4669271

 「不純異性交遊」なんて言葉はとっくの昔に死語になっていたと思っていたのだけれど、そういう言葉を使って、妊娠した女子高校生を悪しざまに貶す人間がいることに驚いた。コメント欄の大半が彼女たちを非難していて、「自分の勝手でセックスしといて勝手なこと言うな」「避妊の仕方くらい覚えろ」「妊娠くらいどうってことない」「バカを甘やかすな、退学にして当然」「そんなに学校に行きたきゃ産んでから来い」など、罵詈雑言の嵐である。
 娘を退学させた保護者が呟いたという「娘を好奇の目にさらしたくない」という言葉、その「好奇の目」で彼女たちを見る人々の述懐が、これらの非難だ。彼らにとっては、高校生がセックスをすること、妊娠すること、それは即「悪」だということになるらしい。そこには、それぞれに個々の事情があるのではないかという忖度は一切働いていない。自らの道徳観を絶対的な「正義」にスライドさせて、自らが差別者に成り果てていることの自覚が全くない。自分が正しいと信じ切っている。

 記事中にも「在学中に妊娠しても高校をやめなければならない規則はない。文科省は『学業継続の意思がある場合は、母体保護を優先して教育上必要な配慮を行う』との立場だ」と明記してあるのだが、どうやら非難者たちは、自分たちに都合の悪い文言は一切読めなくなる脳構造をしている模様である。「不純異性交遊を禁ずる」という内規、校則を作ることには問題があるし、実際に懲戒処分で退学措置を取ることは法的に無理があるのだが、学生が性行為に及んだというだけで、生徒を脅し透かし、退学に追い込もうとする学校は少なくないようだ。
 要するに、厄介者は放り出したいのだね。学校の本音は生徒を守ることにはなくて、結局、コトナカレにある。それをいかにも道義に則った教育を行っているように見せかけられたのでは、生徒にしてみれば溜まったものではない。騙し討ちに遭っているも同然である。

 未成年との性行為は法令違反じゃないの? と仰る向きもあろうが、女性の場合、16歳から結婚できるのであるから、結婚を前提とした真剣な交際であれば、法に触れることはない。非難者たちは、恐らくただひたすら性欲に従って無軌道な性行為を繰り返した末に妊娠するようなあっぱらぱーを想定しているのだろうが、妊娠した女子学生のみんながみんな、そういう生徒たちだとなぜ思い込めるのだろうか。真剣交際をしていて、避妊もしていたが子供ができてしまったというケースだってありえるとはどうして考えないのだろうか。
 そこにはやはり、旧弊かつ前近代的なモラルで性を束縛しようとする頑迷固陋な偏見が存在しているのである。

 非難者たちはよっぽど正義を行使したいらしいが、ならば自分たちはそんなにご立派なモラルに基づいて人生を送ってきたと言えるのだろうか。結婚するまではセックスなんてもってのほか、婚前交渉はおろか自慰だってしちゃいけないというのが、かつては教育相談の回答にも記されていたこの国の建前としてのモラルだったのだが、そんなものを本当に金科玉条として守っていた人間がどれだけいたことだろうか。
 そこまで清廉潔白であるのならば、妊娠した学生を非難しても一応の理屈は通るだろうが、私には、非難者たちが自分を棚に上げて、あるいは自分に対する基準だけは甘くして、学生たちを扱き下ろしているようにしか見えない。甘えているのはお前たちの方だろう、何様のつもりで思いあがっているのだ、と言いたくなる。

 私の知人の例で、やはり高校生で妊娠してしまった女の子がいた。
 無軌道というわけではなかったが、恋多きタイプではあって、経験自体は少なくはなかった。しかし、医者からは妊娠は難しいと診断されていて、本人は、自分は一生、子供を持つことはできないのだと信じ込んでいた。
 ところがある時、できないはずの子どもを授かった。彼女は喜んで、彼氏に報告した。真剣交際だったから、彼氏も当然喜んでくれると思っていた。ところが彼氏は彼女の妊娠を知って動揺した。「子供はできないって言ってたじゃないか」と彼女を責めた。そして「俺と付き合いたいなら子供を下ろせ」と迫った。
 非難者の方々も、彼女のショックを想像してほしい。彼氏のことを信じていたから、身を任すことに躊躇はしなかった。子供ができないと信じていたから、特に避妊するつもりもなかった。それを「考えが甘い」と簡単に言えるのか。もっと疑うべきだったと言えるのか。

 私が彼女に相談を受けたのは、他に相談する相手がいなかったからかもしれない。彼女は産むか産まないかで迷っていた。私は「産めよ」と即答した。
 「無責任なことは分かってて言うけど、産みなよ。もう二度と子供はできないかもしれないじゃん。相手と別れて、一人で子供を育てることになるかもしれないけど、苦労してもいいから産みなよ。『命』は、簡単に来てくれるものじゃないよ」。
 彼女は涙ぐみながら「ありがとう」と言った。けれどもその後にこう続けた。「でも…本当は、もう決めてるんだ」。
 彼女は、彼氏と別れた。子供は下ろした。高校は自主退学して、一人で働き始めることになった。学校まで辞める必要はなかったはずだが、やはり周囲の視線が怖かったのだろう。
 それ以来、彼女とは会っていない。ただ別れ際に、彼女にはこう言われた。「家族も、友達も、みんな『下ろせ』って言ったんだよ。だから、たった一人だけ、『産め』って言ってくれたの、本当に嬉しかった」。
 だったら、産めばいいじゃないか。その言葉を私は噛み殺した。

 もう30年近く昔のことである。
 あの頃に、彼女を支援する手立てが何かあったなら、と今も時折思い返す。記事を読むと、妊娠した学生への偏見は30年前とちっとも変わっていないように思える。「自業自得」論が大手を振って罷り通っているが、仮に彼女たちが最初の選択肢を間違ったのだとしても、その後の支援を受ける資格がなくなったと決めつける根拠が一体どこにあるのだろうか。彼女たちの見通しが甘かったとしても、そこから立ち直ろうとするのを極力阻もうとする非難者たちの意志が、本当に「正義」だと言えるだろうか。
 人は間違う。人生は過ちと失敗の連続で、完璧に生きることなど不可能だ。なのに、どんな瑕瑾でも許そうとはしない非難者たちの言質には、傲慢と偽善の匂いしか感じることはできない。もう一度彼らに問いたい。あなたは、そんなに他人を責められるほどに清く正しい生き方をしてきたのですかと。
 
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