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2017年07月02日11:51

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1987年からこの手の己の身かわいさにいいわけするやつは、何も進歩していない

「被害者にも非」性暴力の偏見
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4647825


DVゲノムとおんなじで、ひたすら自己弁護しか考えず、自分の身かわいさにこんな言い訳が思い付く辺り、いざ自分が性暴力を振るったときに、自分の責任をゼロ査定して他人のせいにしたくてしかたがなく、他責としてすべて振り分けたくてしかたがないか、実際に性暴力を行い、そうやって振る舞ってきたかの2パターンです。

反撃したら反撃したでこういうやつは過剰防衛のルールを知らないのか、とほざき出すぞ。自分がけなしたくてしかたがないから後付けでありもしない空虚で愚劣な言い訳に終始しているだけです。

1987年からこんな連中は何一つ学んじゃあいませんよ。

続・日テレがあかんて理由 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1934963640&owner_id=40049699&full=1

(・・・)1987年の池袋買春男性殺人事件なわけです。これは簡単に言えば、

裁判所が「ホテヘルは合法な職業ではないのだから、暴行に対するナイフでの正当防衛は認めない」としたものです。

なんですかそれ?って話ですよね。存在がおかしければやることなすことおかしいってか?でもあなたたちは今そう言ってるじゃないですか。デリヘルはおかしい!差別だといいながらちょっと離れたキャバレーのホステスは差別でないと言い出す。何の違いがあると言うんですか。

売春防止法の基礎知識と問題点・論点
http://www.whitehands.jp/swsbb.html

「1987年に起こった「池袋買春男性死亡事件」(以下、池袋事件)は、ホテトル嬢としてホテルに派遣された女性が、利用客である 男性に暴力を振るわれ、抵抗する過程で男性を刺殺した事件です。

「ホテトル」とは、「ホテルでトルコ風呂」の略称です。(中略)もちろん、ホテトルの営業は、売春防止法に違反する、 違法行為になります。

利用客である男性は、部屋にやってきたホテトル嬢を殴りつけ、刃渡り8センチのナイフで彼女の手を刺し、それを顔に近づけて 「静かにしないと殺すぞ」と脅しました。そして、ホテルに備え付けの浴衣の帯や持参のガムテープで彼女を縛り、1時間20分にわ たって屈辱的な行為を強要し、さらにそれを8ミリで撮影しました。

恐怖に駆られた女性は、男性が視線をそらしたすきに、放置されていたナイフを手にし、男性を刺して逃亡しようとしましたが、 乱闘の末、男性は数ヶ所の刺し傷を負って死亡する、という結果になりました。

女性の弁護団は、一審、二審とも正当防衛で無罪を主張しましたが、過剰防衛と認定されました。一審の地裁判決では、懲役3年 の実刑判決。二審の高裁判決では、懲役2年、3年間の執行猶予付きの判決が下されました。

この池袋事件で、検察官は「被告人はそもそも売春行為を業としており、被告人にとっての抵抗感というのは(中略)通常の女性 が見知らぬ男から同様の行為を受けた場合とは質的にまったく異なるものである」と主張しています。

つまり、ナイフで切られ縛りあげられ、身の危険を感じるような暴行を受けたときも、「一般女性」と「そうでない女(=売春婦)」では、感じる恐怖心も違うだろう、というわけです。

検察官起訴状では、「性的自由及び身体の自由の侵害についても、売春契約により・・・その法益はすでに放棄されており、 ・・・そこからの離脱を望んだとすれば、それは、右契約からの離脱を望んでいるにすぎず、法的評価として保護に値するものではない」と述べています。

また、一審の地裁判決では、「いわゆるホテトル嬢として見知らぬ男性の待つホテルの一室に単身で赴く以上・・・相当な危険が 伴うことは十分予想し得るところである・・・あえて被害者の求めに応じてホテルに赴いたという意味では、いわば自ら招いた危難 と言えなくもない」と述べられ、高裁では「売春婦と一般婦女子との間では性的自由の度合いが異なる」と断定しています。

この事件は殺人事件ですが、具体的な事実認定から逸脱して、女性の職業が問われ、貞操が問われ、落ち度が問われています。検察官や裁判官自身の「性はかくあるべき」という性観念、「女性はかくあるべき」という女性観が、判決に反映されてしまっている のです。」

これをおかしく思わないのであれば別にかまいませんがそうとうさもしい心の持ち主だと思います。これと同じなんですよ。

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「・・・は繰り返すが、・・・は本質を変えずに再び繰り返される」(Jhon Maynard Keynes) 

「Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.(ヘーゲルはどこかで言っている。すべての世界史的な大事件と巨人は二回現れるというようなことを。ただしヘーゲル は、それに加えて次のように言うのを忘れている──一回目は偉大な悲劇として、二回目は安っぽい茶番狂言として、と)」(Karl Heinrich Marx、市橋秀泰訳『Der 18te Brumaire des Louis Bonaparte(ルイ・ボナパルトのブリュメール18日)』(新日本出版社、2014.01)) 

「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。 
自分で選んだ環境のもとではなくて、すぐ目の前にある、あたえられた、持ち越されてきた環境のもとでつくるのである。 
死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。 
またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだかつてあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとして、こわごわ過去の亡霊どもをよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語と衣装をかり、この由緒ある扮装と借り物のせりふで世界史のあたらしい場面を演じようとするのである(・・・)」(Ibid.) 
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