市川海老蔵、ブログ“更新しすぎ”批判の声に「許してください」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=14&from=diary&id=4640304
「中学生的還元主義」。自分がそう呼ぶ態度というのがある。
「所詮〜にすぎない」「ただの粘膜」「たんなる布きれ」といった、シニシズムの一種のこと。
むろん、それらは、「対象への意識の過剰」をこそあらわしているに「すぎない」。
しかしながら、病についておなじような態度をとる人を、自分は寡聞にしてしらない。
それは、なぜか「死」よりも「意味におおわれてある」ようにみえる。
長患いが、「運命へのあらがい」という視座でながめられ、
場合によっては、健康など「野蛮の徴候」であるとされることすらある。
「病」は、即物的なあつかいを拒むなにかをもっているのかもしれない。
というより、本来、意味の表層の裏側に「本質」を見出すという「別様の病」を
発症させないという「治療的な力」があるといってもいいのかもしれない。
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