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2017年06月23日16:12

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18941030 NO1391 兪吉濬(ユ・ギルチュン 開化派)から金弘集へ

18941030 NO1391 兪吉濬(ユ・ギルチュン 開化派)から金弘集へ
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駐韓日本公使館記録 3巻 八. 和文電報往復控 追加 (153) [金宏集より依頼のあった兪吉濬への電報]

文書題目 (153) [金宏集より依頼のあった兪吉濬への電報]
文書番号
発信日 午後一時四十分東京発 ( 1894年 10月 30日 )
発信者 大臣 陸奧
発信日 同 午後参時接
受信者 公使 井上

(153) [金宏集より依頼のあった兪吉濬への電報]
同 午後参時接
午後一時四十分東京発
井上 公使
陸奧 大臣

二号
兪吉濬(ユギルチュン)より依頼のあった次の電報を金宏集(キムホンジプ)に伝えてもらいたい。
「今日外務大臣に面会し訓令の三ケ条の事を話した。ところが井上公使はこの事については朝鮮政府の相談に応じるよう訓令を受けているので、事が面倒にならないように私は早く帰国して井上公使を談判するのがよいだろうと外務大臣は言われた。私もこれは良いと思う。そこで出来るだけ早く帰国することの許可を電報で送ってもらいたい。」



*兪吉濬 
1856−1914 朝鮮王朝の政治家。
哲宗7年9月25日生まれ。開化思想に傾倒し,明治14年(1881)最初の留学生のひとりとして来日,慶応義塾にまなぶ。16年アメリカに留学。金弘集(キム-ホンジプ)内閣の甲午改革(1894-95)に中心的役割をはたす。金内閣の崩壊後,日本に亡命し,明治40年帰国した。
https://kotobank.jp/word/%E5%85%AA%E5%90%89%E6%BF%AC-1118967
*金宏集 金弘集







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