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2017年06月21日22:14

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極東国際軍事裁判とヴァチカン 前半

第二次世界大戦において、日本は1945年8月15日に連合国に降伏した。極東国際軍事裁判は、1946年5月3日から1948年11月12日にかけて、連合国が勝者の立場から日本を裁いた一審制の軍事裁判のことで、東京裁判とも称される。

勝てば官軍、負ければ賊軍と言われる通り、当時の欧米列強は、アジア人は白人に植民地支配されて当然という考えだったので、欧米列強の日本に対する恨みが激しく、後の人々が指摘するように、現代の視点から見ると、連合国の独善的正義ゴリ押しの偏った内容の東京裁判であった。

アジアの人々にとって、植民地支配されていた第二次世界大戦前より、独立主権国家となった第二次世界大戦後の方が遥かに良くなった。アジアの国々は、第二次世界大戦以前にも多数の犠牲者を出して独立戦争を試みたが、全て失敗に終わっていたからである。第二次世界大戦における多数の日本軍の犠牲により、アジア諸国はようやく独立できたのは事実である。

欧米列強から植民地支配を受けていたアジアの国々が、第二次世界大戦(大東亜戦争)における日本の立場をどのように見ていたか、以下を読むとよくわかる。

ブン・トモ元情報宣伝相(インドネシア)↓
「我々アジア、アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍がアメリカ、イギリス、オランダ、フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北した時、『これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる』と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった」

モハメッド・ナチール元首相(インドネシア)↓
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」

アラムシャ元第3副首相(インドネシア)↓
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に渡り幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」

ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員(マレーシア)↓
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです」

ククリット・プラモード元首相(タイ)↓
「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない」

朝鮮人が多数就職している朝鮮傀儡の朝日新聞は、「日本がアジアの植民地支配を進めた」と、真実を無視した捏造記事を掲げ続けている。韓国は、慰安婦の次は、植民地支配による強制連行をネタに金をゆする気らしいが、無駄である。

米国を始めとする連合国と日本との戦争状態を終結させるため、1951年 9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結された。中国に関しては、現在台湾にいる中華民国が連合国構成国であり、中華民国は会議に出席しなかった。中国共産党は、中国の内部抗争における中華民国との戦闘で、劣勢で山奥に逃げ込んで隠れていたのであり、連合国構成国ではない。韓国は連合国側として出席を熱望したが、日本に併合されて韓国(朝鮮)も日本であったので、連合国に却下されて参加できなかった。

中国共産党と韓国は、連合国構成国ではないので部外者であり、サンフランシスコ講和条約を批准していない。サンフランシスコ講和条約第二十五条に、この条約は連合国ではないどの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではなく、この条約に署名、批准していない国々は、日本のいかなる権利、権原又は利益を損ねたり害したりする資格はない、とある。よって中国と韓国は、国際条約に従ってA級戦犯に関して発言資格がない国々である。←ここ大事!中国と韓国が、自分たちを戦勝国だとしているのは、事実無根の捏造である! ちなみに、連合国構成国であるソビエト連邦は、会議に出席したが条約に署名しなかった。

サンフランシスコ講和条約第十一条は、連合国の国際法を蹂躙した報復が、日本に対して続いていた証拠である。これについては後述する。

「昭和の戦争記念館」第3巻大東亜戦争の秘話という本の中に、昭和の殉難者のために荘厳なミサが1980年5月21道にヴァチカン・サンピエトロ寺院で行われたことが載っている。参照:反日ワクチンhttp://vaccine.sblo.jp/article/1850309.html

ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのである。その多くはキリスト教信者であった連合国側にとって、これほどの皮肉はない。皮肉というよりは、勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えよう。

時のローマ法王・パウロ六世に、日本人殉難者のためにミサを、と訴えたのは仏教徒の仲田順和師であった。昭和五十(1975)年にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出たのである。

順和師の父であり先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、「七戦犯の鐘」など慰霊の鐘も護持している。先代座主の遺志をついだ真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)の仲田順和師の願いを、パウロ六世は快く承諾した。しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報であった。その後を襲ったパウロ一世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。

その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ二世から親書が届けられたのは五年後の昭和五十五年四月、内容は「五年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものであった。ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。

パウロ六世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に殉難者千六十八柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは、同年五月のことである。醍醐寺五重塔を精巧に模した塔は、「戦犯」慰霊に共鳴した栃木県大田原市の木工芸家星野皓穂氏が、三年の歳月をかけ無料奉仕で完成させたもの。五月二十一日には仲田・星野両氏も参列し、法王パウロ二世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われた。

以下は現地の報道記事↓
東京の品川寺座主である仲田順和師に案内され、日本から訪れた真言宗の仏教徒たちが昨日の一般拝謁に参加していた。先の戦争で亡くなられた戦没者のための、唱導師(使徒・伝道師)として日本で有名な仲田師は、「聖年」の間にパウロ6世に謁見している。世界的な戦いを通じて戦死した日本の13万人の学生たちの霊のために、特別の恵み(祝福と加護)を依頼し、また法王に「まことの鐘」を差し出していた。今年、終戦の35周年に際し、パウロ6世の継承者であるヨハネ・パウロ2世に会うため再びローマにやってくることを欲したのである。そして戦いの責任者として宣告された10681名の霊の冥福のため、特別の「瞬間」を法王にお願いした。

尊敬と感謝の念の印として、仲田師は彫刻家である星野皓穂氏が造りあげた、日本の仏教の象徴を再生したひとつの塔を、ヨハネ・パウロ2世に贈った。日本からの訪問者たちに法王は次のように挨拶した。

「日本から来た仏教徒の訪問者たちを、特別なやり方で、あたたかく歓迎します。あなた方に平和の祝福を希望します。われわれ自身についての真実の受容と、われわれの生存の目的がその内部に存する平和を。すべての人間の威厳に対する尊重が存する他人との平和を。神がその恩恵をあなた方にお示しにならんことを、祈ります。」・・・・
芸術的に再生産されたひとつの塔を、法王に寄贈するために日本から訪れた仏教徒の集団に、ヨハネ・パウロ2世が挨拶した。(引用ここまで)

サン・ピエトロ大聖堂は、ヴァチカン市国にあるカトリック教会の総本山。北に隣接してローマ教皇の住むヴァチカン宮殿がある。靖国神社には英霊の遺骨や位牌はない。靖國神社にお祀りされているのは、霊璽簿(れいじぼ)、つまり「名簿」はあるが、これは御祭神ではなく、御祭神は御剣と御鏡。神道には教祖もいないし、教義もない。A級戦犯が合祀されていることで、日本の首相が靖国神社に参拝すると、当初は無関心だった部外者の中国と韓国が、被害者ビジネスに目覚めてから、戦勝国ヅラして日本に文句を垂れるようになった。過去に戦犯と言われた人たちの遺骨は靖国神社にはない。英霊(=国を守るために散華された特別に優れた霊)の位牌は、サン・ピエトロ大聖堂に奉納されており、世界のヴァチカンは、国の為に力を尽くして亡くなった方々に対してこのように扱っているのが事実。

従って、部外者の中国と韓国は、日本や靖国神社ではなく、英霊が眠るローマ法王庁のヴァチカンに文句を言いなさい!よくもA級戦犯を祭ったなとヴァチカンに抗議し、世界中の人々にヴァチカンに行くのはけしからん!と大声でわめきなさい!中国も韓国も、国際条約を理解しない土人国家である!
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