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2017年06月20日17:08

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スメタナ わが祖国

ベドジヒ・スメタナ作曲
連作交響詩「わが祖国」全曲
 ヴィシェラフト
 モルダウ
 シャールカ
 ボヘミアの森と草原より
 ターボル
 ブラニーク
ヴァーツラフ・スメターチェク指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


かんち自身の解説

有名曲でありながら、なかなか全曲演奏される機会が少ないのが、このスメタナ「わが祖国」だと言えましょう。

勿論、クラシックファンであれば、毎年5月にプラハのルドルフィルムで音楽祭の開始を告げる曲として有名な訳ですが、かといって全曲聴く機会は、そうなかなかないのではないでしょうか。それは確かに毎年演奏されているとはいえ、演奏される機会がその毎年5月しかないという希少さです。

ある意味、第九に近い演奏頻度ですが、第九ならまだ日本であればどのオーケストラも演奏すると言う感じですから、聴く機会も多いですが、「わが祖国」はほぼ1回だけ、です。それを逃してしまうと、後はCDを買うしかないという状況ですが、聴いたことがないのに74分もかかる作品を聴こうと言う気持ちは、さすがにクラシック・ファンでも少ないのではないでしょうか。

わが国の音楽鑑賞の授業でも、モルダウは聴いても、他の5曲をかけることなど殆どありません。しかし、モルダウは確かに単独でも素晴らしい作品ですが、この「わが祖国」という作品においては一つの性格付けがされている交響詩にすぎないのです。ですから、全体の中で聴いてみないと、「モルダウ」という交響詩に刻まれたメッセージを受け取ることは難しいでしょう。

今回は是非とも、皆さんで全曲を聴くことによって、6つの交響詩が何を語るのか、耳を傾けてみたいと思います。

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『わが祖国』(わがそこく、チェコ語: Má Vlast)は、ベドルジハ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩からなる連作交響詩。第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ)』が特に著名である。
各楽曲の初演は1875年から1880年にかけて、別々に行われており、全6作通しての初演は1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にある会場において、アドルフ・チェフの指揮の下で行われた。

スメタナは1856年から1861年まで、故国ボヘミアを離れてスウェーデンのヨーテボリでピアニストおよび指揮者として活動していたが、この時期にリストの影響を受けて『リチャード三世』作品11(1857年 - 1858年)、『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858年 - 1859年)、『ハーコン・ヤール』作品16(1861年 - 1862年)の3曲の交響詩を作曲している。これらはスメタナの作品の中ではあまり知られていないが、それぞれシェイクスピアの戯曲、三十年戦争を扱ったシラーの戯曲、中世のノルウェー王ハーコン・シグルザルソンを題材としたもので、いずれも特に国民主義的な作品ではない。
チェコ国民音楽として記念碑的な作品を交響詩の連作の形で創作しようとスメタナが考えたのは、オペラ『リブシェ』を作曲していた1869年から1872年の間のことであると言われる。当初は「ジープ」(Říp )、「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「リパニー」(Lipaný )、「ビーラー・ホラ」(Bílá hora )の5つの地名を各曲の題名として構想していたが、最終的には『ヴィシェフラド』、『ヴルタヴァ』、『シャールカ』、『ボヘミアの森と草原から』、『ターボル』、『ブラニーク』の6曲が作曲された。
作曲は『リブシェ』の完成後すぐに着手され、第1曲『ヴィシェフラド』が1874年に完成した。これと前後してスメタナは聴覚を失っているが、作曲活動は続けられ、最後の第6曲『ブラニーク』は1879年に完成した。
当時の聴衆にとって「交響詩」がなじみの薄いジャンルであったことに配慮して、スメタナは自ら解説を書いて楽曲の意図が理解されるよう努めた。さらに楽譜にも、標題のページだけでなく楽曲の各箇所に注釈が記されている。

第1曲:ヴィシェフラド
原題:Vyšehrad
1872年から1874年の間に構想され、1874年9月末から11月18日にかけて作曲された。6曲のうちで唯一、スメタナが失聴する前にかなりの部分が出来上がっていた。初演は1875年3月14日。変ホ長調。この曲はプラハにあるヴィシェフラド城を題材としている。ヴィシェフラドは「高い城」を意味し、そのように題名が訳されることもある。この城は、ボヘミア王国の国王が居城としていたこともある城であったが、戦乱によって破壊され廃墟となった。
1874年夏の間にスメタナの聴力は徐々に衰えるようになり、それから間もなく完全に失聴してしまう。スメタナは、仮劇場の支配人であるアントニーン・チーセックへ宛てた辞表の中で、段階的だが急速な失聴について述べている。全ての音から隔絶された状況が続く(完全失聴)なか治療が行われたが、結局成功することはなかった。

曲は、吟遊詩人(Lumír)のハープで始まり、この詩人が古の王国の栄枯盛衰を歌う、というのが内容である。冒頭のハープの音色のあと、城の工廠の響きに転換する。この部分で現れる主題は『わが祖国』全曲を通じて繰り返し用いられる。4つの音で構成される主題(B♭-E♭-D-B♭)がヴィシェフラド城を示しており、第2曲『ヴルタヴァ』の終わりと第6曲『ブラニーク』の終わりにも提示される。この主題の最初の部分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭[注釈 2])が音として刻まれている。

冒頭のアルペッジョでは、2台のハープが必要とされる。属七の和音のあと、管楽器が主題を引き継ぎ、弦楽器がそれに続いて、やがてオーケストラの全楽器によるクライマックスに達する。次のパートでは、スメタナは速いテンポを用いて城の歴史を呼び覚まし、これは行進曲に発展する。表面上は明るいクライマックスは、城の衰退を描写する下降パッセージで中断され、音楽は静かになる。そして、冒頭の主題が再び提示され、現在では廃墟となってしまった城の美しさを再び奏でる。音楽は静かに終わり、城の下を流れるヴルタヴァ川の描写に続く。

第2曲:ヴルタヴァ
原題:Vltava
1874年11月20日から12月8日の間に作曲され、初演は1875年4月4日にアドルフ・チェフの指揮で行われた。ホ短調。『モルダウ』(ドイツ語: Die Moldau、英語: The Moldau)の名でも知られる。
この楽曲でスメタナは、ボヘミアの大きな川の一つの音を呼び起こすためにトーン・ペインティングを用いた。スメタナは、以下のように述べている。

この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。ヴルタヴァ川は、Teplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる2つの源流から流れだし、それらが合流し一つの流れとなる。そして森林や牧草地を経て、農夫たちの結婚式の傍を流れる。夜となり、月光の下、水の妖精たちが舞う。岩に潰され廃墟となった気高き城と宮殿の傍を流れ、ヴルタヴァ川は聖ヤン(ヨハネ)の急流 (cs) で渦を巻く。そこを抜けると、川幅が広がりながらヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名:エルベ川)へと消えていく

この曲は6曲中にとどまらず、スメタナの全楽曲の中でも最も有名なもので、単独で演奏されたり録音されることも多い。最初の主題は歌曲や合唱曲に編曲されて歌われたり、ジャズやロックへとアレンジして演奏されることもある。
最初の主題には、15世紀から16世紀にかけてイタリアで活動したテノール歌手ジュゼッペ・チェンチ作の『ラ・マントヴァーナ』に由来するメロディが改変されて用いられている。同曲はモルドバ(モルダヴィア)などにも伝わり、民謡の一節に流用され、イスラエルの国歌『ハティクヴァ』のメロディの基礎ともなっている。スメタナの祖国ボヘミアにおいても、民謡"Kočka leze dírou"に用いられている。スメタナはこの『ラ・マントヴァーナ』に由来する祖国の民謡のメロディを、第1主題として採り入れたものと思われる。
楽曲の最終部分には、第1曲『ヴィシェフラド』の主題も組み込まれている。その他、ヨーゼフ・ランナーの『旅の行進曲』(作品130)のメロディが一部引用されている。

第3曲:シャールカ
原題:Šárka
1875年2月20日に完成した。初演はアドルフ・チェフの指揮で行われたが、日付については2説あり、1876年12月10日もしくは1877年3月17日とされる。
シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、その由来は男たちと女たちが死闘を繰り広げたというチェコの伝説『乙女戦争』に登場する勇女の名である。
ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツチラトとその配下たちが通りかかる。ツチラトによって縄をほどかれたシャールカは、助けてもらったお礼にと酒をふるまう[7]。すっかり彼らの気が緩んだ頃、シャールカは角笛を吹いて味方の女戦士たちを呼ぶ。ツチラトは捕虜となり、彼の配下は皆殺しにされる。
これが物語の大筋であるが、スメタナが作曲した音楽は大変迫力のある劇的なものである。

第4曲:ボヘミアの森と草原から
原題:Z českých luhů a hájů
1875年10月18日に完成し、初演はそれから約8週間後の同年12月10日に行われた。この曲は、チェコ(ボヘミア)の田舎の美しさを描写しており、鬱蒼とした深い森を思わせる暗い響きで始められる。何かの物語を描写しているわけではないが、曲が進むと夏の日の喜び、収穫を喜ぶ農民の踊り、祈りの情景、喜びの歌が繰り広げられる。そして後半は、チェコの国民的舞踊でもあるポルカが盛大に続けられる。

第5曲:ターボル
原題:Tábor
1878年12月13日に完成し、初演は1880年1月4日に行われた。この曲と次の『ブラニーク』は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたものである。ターボルとは南ボヘミア州の古い町で、フス派の重要な拠点であった。ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369年 - 1415年)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落した教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられた。しかしその死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こす。この戦いは18年にも及ぶものであったが、結果としてフス運動は失敗に終わる。しかし、これをきっかけにチェコ人は民族として連帯を一層深めることなった。フス派の讃美歌の中で最も知られている『汝ら神の戦士』が全篇を通じて現れ、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。

第6曲:ブラニーク
原題:Blaník
1879年3月9日に完成し、第5曲『ターボル』と共に1880年1月4日に初演された。スメタナは両曲を一緒に演奏することを望んだ。
ブラニークは中央ボヘミア州にある山で、ここにはフス派の戦士たちが眠っており、また讃美歌に歌われる聖ヴァーツラフの率いる戦士が眠るという伝説もある。伝説によれば、この戦士たちは国家が危機に直面した時、それを助けるために復活する(しばしば、全方位からの4つの敵国軍の攻撃に対してとも述べられる)。

音楽的には、『ターボル』から切れ間なく演奏される。全曲から持ち越された主題は、まるで戦いの直後の中にいるかのように演奏される。そのため、この第5曲と第6曲は、第1曲と第2曲のようにペアとして扱われる。ヴルタヴァ川の旅の最後(第2曲『ヴルタヴァ』の最終部)で現れる『ヴィシェフラド』の主題は、『ブラニーク』の最後部にも再現する。『ターボル』にも使われたフス教徒の讃美歌『汝ら神の戦士』が高らかに響き、希望に満ちた未来を暗示しながら、連作の最後を飾るのに相応しく勇壮なクライマックスをもって曲を閉じる。この讃美歌におけるオリジナルの詞は、「最後には彼とお前が常に勝利と共にある」であり、チェコ国家の最終的勝利を映し出している。

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今日は「マイ・コレクション」です。今回はスメタナの連作交響詩「わが祖国」です。ヴァーツラフ・スメターチェク指揮、チェコ・フィルです。

これ、買ったのは高校2年生だったと思います。我家にCDプレーヤーが来て、マーチを聴きまくっていて「まるでパチンコ屋みたい(瀬戸口藤吉の「軍艦行進曲」ばかり聴いていたからなのですが^^:)だからやめて」と母に言われて、それではと買ったのがこの「わが祖国」です。

この曲と出会ったのは、中学時代の音楽鑑賞の時間と、学内の合唱コンクールでした。中学2年の時の課題曲が第2曲の「モルダウ」で、そのこともあって、音楽鑑賞の時間に聴いたのがきっかけです。

実際、音楽鑑賞の時間ではモルダウしか聴かなかったのですが、それをきっかけにいつかは全曲聴きたいという気持ちが芽生えていました。そこで、当時家から10分ほどのところにあったCDショップで購入しました。

当時、できれば本場チェコのオケで聴きたいと希望していましたら、あったのがこのCDでした。それは今考えますと本当に運が良かったなと思います。というのも、特にそれは第2曲「モルダウ」で顕著なのですが、テンポが他の演奏に比べ速めなのです。それがゆえに逆にチェコの人々の思いが伝わってくるのです。

モルダウといいますと、通常は情景音楽とされます。ですので、先日も述べましたがフルトヴェングラーもゆったりとしたテンポで振っていますし、それがスタンダードです。

しかしながら、このスメターチェクの指揮はそれよりはるかにと言っては大げさですが、かなり速いです。ところが、それがまったく違和感ありません。その理由は、恐らく中間部にある踊りのリズムにあるのではないかと私は思います。ゆったりと入ってしまうと、そのリズムが崩れてしまいます。

本来、モルダウは単なる情景音楽ではありません。「わが祖国」全体に貫かれているのは、祖国チェコへの賞賛と愛です。ですから、情景音楽とだけ捉えるのは私は間違いだと思っています。

ただ、そうなってしまうのには理由があります。「わが祖国」は6曲の交響詩から構成されています。それはチェコの歴史を題材にしたものと、チェコの自然や風景を題材にしたものと交互に構成されています。そのうち、「モルダウ」はチェコの風景や自然を題材にしています。

しかしながら、モルダウだけは異色を放っているのです。モルダウは構成的には自然や風景になぞらえていますが、実はモルダウ川を描きながらそれをチェコの歴史と将来を歌い上げるものになっているからです。

それを理解するためには、当時チェコという国家が置かれた状況を理解する必要があると思います。当時、チェコはオーストリア=ハンガリー帝国の領土でした。しかしその前はスウェーデンの支配下と、約900年間に渡って他国の領土となっていました。詳しくは、ウィキペディア「ボヘミア」の項を参照していただきたく存じます。

ボヘミア(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%98%E3%83%9F%E3%82%A2

そういった状況で、19世紀に民族独立運動が勃興し、それは何度も弾圧を受けてきました。実際、スメタナも一時期スウェーデンへ逃れていた時期があります。そんな時代背景がこの曲には反映されているのです。

それを理解しますと、逆にモルダウがなぜテンポがいいのか、よくわかります。川を表現しているのではなく、川があるチェコという存在を表現しているからである、ということなのです。

それ以外、例えば、第4曲「ボヘミアの森と草原より」では、逆にゆったりとしたテンポです。第1曲の「ヴィシェラフト」も同様です。アップテンポになっているのは、第2曲「モルダウ」と第5曲「ターボル」、第6曲「ブラニーク」です。むしろ、私はフルトヴェングラーで第5曲と第6曲が聴きたいくらいです。

チェコのオケだからそういうテンポになるとは限りませんが、少なくともスメターチェクという指揮者はチェコでは英雄的な指揮者ですし、そういった指揮者の歴史観というものが、この演奏には色濃く反映されている、と感じます。そして、それを淡々と演奏するチェコ・フィル・・・・・弦だけはなく、管もきれいです。特に、金管。「わが祖国」でこれほどきれいな金管を今まで私は聴いたことがありません。

オケがだんだん熱くなっていく様が手に取るようにわかる演奏です。それでいてまったくアンサンブルやアインザッツは崩壊せず、理性を保っています。そこに、私は彼らの気概を感じるのです。

ノイマンもすばらしい演奏を残していますが、私はこのスメターチェクの演奏がお気に入りです。
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