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2017年06月20日16:33

2014 view

佐藤眞 「旅」

佐藤眞作曲
混声合唱のための組曲「旅」
田中信昭指揮
東京混声合唱団
田中瑤子(ピアノ)


かんち自身の解説

もし、日本にプラハの春音楽祭が引っ越したら、どんなプログラムになるだろうと、考えてみました。

プラハの春という音楽祭のの特色を考えれば、日本の作品が入ってもいいよね、と考えました。ところが、今回メインの曲は第九に匹敵するくらい、演奏時間長いんです・・・・・

そうなると、このネット鑑賞会の特色である、合唱曲をなるべく取り上げていくという方針が、なかなか守れないなあ、と。

そこで、私もかつて歌ったことのある、佐藤眞の代表作とも言うべき、「旅」を取り上げることにしました。

佐藤眞は最近でこそ、フクイチのこともあり、「土の歌」が注目される作曲家ですが、元々はピアノ伴奏で素晴らしい合唱作品を書く作曲家です。その代表作と言えば、「蔵王」とこの「旅」です。

今回は、祝祭感を重視し、希望を歌い上げた「旅」を選択した次第です。ピアノ伴奏なのでオケ好きの人は重厚さなどが物足りない部分があるかと思いますが、室内楽のようでしかし大人数の混声合唱の美しさと、切なさを感じ取っていただけたら、幸いです。

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7曲からなるこの組曲は、混声合唱のための組曲「蔵王」と同様に、
ニッポン放送(あの乗っ取り騒ぎで注目されたところ)の依頼により、
文部省(当時)主催の芸術祭合唱部門の参加作品として作られた曲である。
「旅」(1962年)は「蔵王」(1961年)より一年後に作曲されたが、
企画の段階から、「蔵王」と同じような
構成と音楽スタイルで作ることが意図されている。

私にとって、二つの組曲はいずれも、
合唱を始めたばかりの学生時代の思い出につながる。
ただそれは、晴れやかな演奏会のステ−ジでの記憶ではない。
合唱団のメンバ−によるグル−プ合唱で歌ったこと、
サ−クルBOXのピアノの周りに集まり、思い思いにハモったこと、
大学祭の音楽自主イベントに、ゼミ仲間と一緒に参加したこと、
などなど・・。
「若者はある日・・」「ある時、若者は・・」との語りは、
その過ぎ去りし懐かしいシ−ンへと誘ってくれる。

♪ 飛んでる飛んでる 飛んでる雲が
みどりや山脈(やまなみ) わたって飛ぶぞ
お−い! 

と「旅のよろこび」を歌いだすと、
合唱団の夏合宿のグル−プ合唱で、
軽快に指揮を振りながら歌っていた仲間の顔が浮かんでくる。

「なぎさ歩めば」は、ハモリ曲の定番。
ピアノの譜面台に置かれた一冊の楽譜を、
みんなで折り重なるように見ながら歌い、
感傷的なメロディ−とハ−モニ−に酔いしれたことを思い出す。

♪ めくるめく ひかりの波に
 声あわせ しぶきあげて
二匹の魚の ほとばしる あの日の宴よ

今回の演奏会に向けての練習のある時、
「この部分(二匹の魚)は、かつての彼と彼女、
二人の恋人の姿を重ね合わせながら歌ってみては・・・」
との指揮者からのコメントが、なぜか印象深く心に残った。

とんだばやし混声合唱団では、第5回定期演奏会で「蔵王」を取り上げ、
今回10年をふり返ってのステ−ジで、その中から終曲「早春」を再演する。
そしてこの組曲「旅」を、第10回記念定期演奏会の最終ステ−ジで歌う。
合唱団として、そして団員一人一人が、
心ときめく思い出を内に秘めながら、
初心に立ち返り、再び新しい旅、“合唱の旅”に出かける決意を込めて・・・

 ♪ 行こう ふたたび 旅立とう
ああ 未来は明るく輝き
いまこそ 旅をおもう
行こう 美しい旅に

行け 旅に
いまこそ!
憧れに になわれて

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次に、旅です。

混声合唱のための組曲「旅」
http://www2c.biglobe.ne.jp/~okada/tabi.htm

この曲は蔵王の翌年、1962年に発表されたこれも「混声合唱のための組曲」です。上記サイトでもびっくりされていますが、この二つはフジ・サンケイグループの一員であるニッポン放送の委嘱なのです。こういった曲に当時ニッポン放送は焦点を当てて、世に送り出していました。さて、いまこれだけの文化的な創造を応援する意気はかのテレビ局、あるいは新聞社にあるでしょうか・・・・・

私はこの曲を、最終楽章「行こうふたたび」だけですが、川崎市宮前区の合唱団の第1回定期演奏会のアンコール曲としてうたっています。このサイトでも歌詞が載っていますが、とても優しい歌なのですが、ポジティブなんですね。そういった歌詞も魅力です。

この曲は本当に簡単な組曲です。難しい点はほとんどありません。ある程度訓練をしている合唱団であれば、それほど失敗することなく歌いきることが出来る曲です。蔵王と同じコンセプトとありますが、私としましてはむしろ「若い合唱」と同じコンセプトを感じます。

肝は、歌うのではなく、語ることだと思います。実際にはとてもメロディアスな曲なのできちんと歌わなくてはいけませんが、そのことで聴衆に「語りかける」ことがこの曲には簡単であるからこそ絶対に必要です。だからこそ、最後「行こうふたたび」ではこう始まるのです。

語ろう、語ろう

美しい旅の日を

また、その前の「かごにのって」でも、そのかけごえをきちんと歌詞通りに「言う」ことが要求されます。

エーイッホ、エーイッホ

土の歌も含め、このCDに収録された曲はクラシックでいえば、明らかに国民楽派から印象派、あるいは現代音楽の初期の作品というものの影響を受けています。シマノフスキやバルトークなどと言った作曲家の影響を受けていないわけがないのです。そういった作曲家の作品がもてはやされ始めた時代だったからです。あるいはストラヴィンスキーなどもそうでしょう。そういった作曲家たちの雰囲気をピアノ伴奏の混声四部合唱の組曲として、日本語の曲として作られたのが、この3曲だといってもいいと思います。

実際、私は作曲者から、そういった「時代」というものの影響は多分に受けているという言質をいただいています。

この3曲を歌うとき、ヨゼフ・スークのように、「作品が作られた時代とその背景」というものまで掘り下げたほうが、素晴らしい演奏になるように思います。

東京混声合唱団は、それを言葉の発音を発声で表現しています。昭和30年代という時期を考慮し、あくまでも濁音を鼻にかけて発声しています。それが戦前の「発音」だったからです。それは昭和30年代まで残りました。それが平べったくなったのは昭和の終わり、50年代に入ってからです。ちょうどそのころ、合唱ブームが終わりを告げます。美しい日本語が消えてゆく時代が始まった時、合唱ブームも終わりを告げたというわけです。

そういう点を見ますと、合唱が今なぜもてはやされないのかの原因が、垣間見えるように思うのは私だけなのでしょうか。

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