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2017年06月19日21:46

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独立門と迎恩門と三跪九叩頭

独立門は、韓国ソウルの西大門独立公園内にある門で、1896年11月21日定礎、1897年11月20日完成した。建設は、朝鮮の開化派の独立協会が中心となり、独立門に書かれている「独立門」という文字を書いたのは、独立協会の初代会長で、後に韓国の首相となった李完用だった。日本は日清戦争で中国清朝に勝利し、下関条約において属国だった朝鮮(今の北朝鮮と韓国)の独立を清に認めさせた。李氏朝鮮は清の支配から解放され、独立国家となり、その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊し、そのすぐ隣に独立門を建設したのである。

しかし、「有史以来、朝鮮の国は独立国家であった」と学校で捏造歴史を教えられている韓国人の多くがこの事実を知らず、独立門は、日本からの独立記念の門と思っているとのこと。説明板に、この独立門が建てられたのは1897年と書かれているそうで、日韓併合は1910年、韓国が日本から独立したと信じ込んでいる光復節という記念日は1945年なので、時系列がおかしいことを理解しない韓国人は、歴史に無知蒙昧である。

中国の属国で中国皇帝の臣下であった朝鮮の歴代の王が、中国皇帝の使者を迎えるための門が、迎恩門であった。1407年には慕華楼という使臣のための建物が建てられていたが、1536年にそのそばに「迎詔門」を建てた。しかし1539年に明の使臣として来た薛廷寵が、使臣は中国皇帝の詔書や勅書や下賜の品々を持ってくるのに、門の名前が「詔だけを迎える」ではおかしいと言いがかりをつけ、朝鮮側は名前を「迎恩門」に変えた。

漢民族の明が滅ぼされ、女真族が清を建国すると、朝鮮は「野蛮人には従えない」と清への服属を拒否し、激怒した清は朝鮮に軍を派遣し、朝鮮王仁祖に、清皇帝は「お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ。恩義と思え」と、三跪九叩頭の礼を強制して服属させた。つまり、朝鮮王が清国使節を三跪九叩頭の礼をして迎え、歓待したのが迎恩門。その迎恩門を破壊し、独立国家であることを標榜しようと建てたのが独立門。

ちなみに、中国は、チベットやモンゴルの一部を占領して中国の領土にしたが、中国が一番占領するのに相応しい万年属国の朝鮮を占領せず、属国扱いし続けた。理由は、占領したら朝鮮人も中国の民になってしまうので、何の資源もない国のずるくて不衛生で嘘つきな朝鮮人を中国人にしてやるのが嫌で、属国扱いのままであったのではなかろうかと推測する。

迎恩門は1896年まで存在し、現在は2本の迎恩門柱礎だけが残っている。朝鮮人は清朝から独立したことを喜び、独立協会、独立新聞、独立門などを作り、自力で独立したのではなく、日本に独立させてもらったのに、呆れるほど馬鹿の1つ覚えのように「独立」をくっつけた命名をして喜んだ。全ては中国への隷属精神から抜け出そうとして作られたもので、独立新聞は1896年7月4日「論説」で、清からの独立を記念した。迎恩門に隣接して建てられていた慕華館は、独立門建立時に独立館に改名された。

韓国の加耶大学校客員教授の崔基鎬(1923年 ~ )による評論↓
「1895年に日本が日清戦争に勝つと、李氏朝鮮は清国の属国としての桎梏をのがれて、独立国となることができた。国号が清国と対等な国として大韓帝国に改められ、第26代の高宗王が、中華圏における中国皇帝の臣下を意味する国王の称号を廃して、はじめて皇帝を称した。

大清皇帝功徳碑は、1895年に、あまりにも恥辱であるとして、川の中に投げ込まれた。もっとも、この碑は韓日併合後に、川底から掘り出されて、史碑として同じ場所に建立された。1893年には、ソウルの西大門の近くにあった迎恩門が破壊されて、その場所に独立を記念する西洋式の独立門が建立された。迎恩門は、李朝を通じて、明、あるいは清の皇帝の勅使がソウルを訪れたときに、朝鮮国王がそこまで迎え出て、勅使に対して九回叩頭する礼を行なう場所だった。

今日、独立門は韓国の史蹟32号に指定されている。しかし、今日の韓国民のうち、いったい何人が、そこに韓民族にとって、はかりしれない災禍をもたらした象徴である迎恩門が建っていたことを、知っているだろうか。日本にはその歴史を通じて、大清皇帝功徳碑も迎恩門もなかった。私たちから見ると、何と羨ましいことだろうか。かつて李氏朝鮮は中国への卑屈な服従関係と、不正腐敗を覆い隠す名分として、慕華思想という言葉を用いた。誇りを失った李氏朝鮮の末路は、亡国しかなかった」(引用ここまで)

三跪九叩頭の礼、または三跪九叩頭とは、清朝皇帝の前でとる臣下の礼の1つ。三跪九叩頭では、
1.「跪」の号令で跪き、
2.「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
3.「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
4.「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
5.「起」の号令で起立する。
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。

紫禁城の前庭での国事祭礼において、皇帝の前で臣下が一斉におこなった。李氏朝鮮では、中国からの勅使に対し、王が王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で迎え、その場合が迎恩門であった。
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