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2017年06月13日13:36

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いじめは罪 自殺は自殺で別の罪

中3自殺、新第三者委で調査へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4617306

 この記事の中にも出てくる、「・・・・いじめによる自殺・・」、という聞き慣れた表現。

 自分は、実はこの言い回しが普通に通用してしまう日本人の普通の認識に自殺社会のわかりにくい根源が潜んでいるんじゃないかと常々思っている。

 わかりにくいと書いたが、自殺が多い原因の一つに実は日本人は自殺を容認しているという背景があると思っている。書いてしまうとわかりやすいのだけど、認識を改めるのは案外難しいかもしれないので、わかりにくいと書いた。

 いじめと自殺に因果関係はあるが、いじめはいじめで罪であり、そして自殺は原因が何であれ自殺自体が重罪である。二つの罪が連続して起きたものなのである。いくらかわいそうでも自殺を選んで実行した人間は罪人なのだ。いじめという状況と自殺という罪を因果関係でひとくくりにする認識は改めるべきではないのか。

 どんな理由があったとしても強盗、強姦、暴行、殺人、などを選んではいけないのと同じで自殺も選んではいけない。もう一度言うが、自殺は重罪、なのだ。

 この手の話を受けて、自殺した人をかわいそうだという人は多い。いじめていた卑怯者達をなじるような意見を言う人もいる。色んな陰惨な方法で寄ってたかっていじめられていたのだろうからいじめられていたその人は確かにかわいそうだった。被害者だった。そしていじめていた側の人間たちは卑怯者、加害者だった。そんな声についてはわかる。

 しかし、自殺を選んだ自殺者としてのその人は生きることをあきらめ命を粗末にして消えることのない暗い影だけを社会に残して無責任に消え去った罪人である。自身の人生に起きた問題に対して生きて問題に向き合うことをせずに自分を殺すことで問題を解決した。人生を放棄した罪人である。
 遺族にも、教員たちにも、生徒たちにも、記事を読む一般の市民にも、自殺を罪とする認識はほぼ見られない。みんな、自殺者は被害者だ、という認識だけを持っているようだ。

 自殺は重罪なのだから本当は遺族は社会に対して謝罪を述べる立場にあると思う。罪人の親である。子供を亡くして悲しみにくれながらも親は謝罪をするべきなのだ。自殺を罪だと思っていないのでそういう形にはならないのが現在の日本の自殺を巡る認識である。この記事のような状況の場合、遺族は一様に、いじめはだめだ、ということは外さずに口にするが、自殺者がたくさんの人にどうすることもできない傷を残していったことへの謝罪を口にする人は少ない。報道も同じような傾向にある。教育者たちもそうだ。自殺はだめだとは言わない。

 自殺に関係したいじめの調査について第三者が動く。繰り返さないためのものなのか、遺族の意向に沿うものなのか、とにかく事態の解明を誰かが必要としているからそうなる。調査がうやむやで責任者が謝罪をする。親が厳しい口調で彼らを糾弾する。そんなそれぞれの立場の方々が見せた態度には確かにわからないではないのだが自分は何かまっすぐに力が入らないような違和感を感じてしまった。やっぱりここでも自殺したことが罪だったという認識は誰からも感じられない。その認識がすっかり抜けたところで話が進んでいくからなのだろう、親はあんな風に先生たちを責められるものなのだろうかという感覚を覚えた。

 例えば調査がうまくいって全容が解明して、謝るべき人が謝罪をして反省をして、教育組織はこれを前例として対策を練り何かしらの形でこれからに活かせたとする。それでも、どうしようもないものがどうしようもなく残る。調査がうやむやになった場合はもっと輪をかけて何かがどうしようもなく残る。結局それが自殺というものの罪の正体なのだと自分は思っている。

 社会はそんな自殺をもっと自殺そのものについて名指しで憎みさげすむべきなのでは。

 
 今ちょうどテレビでこの話題についてやっているけどやっぱり雰囲気は日本のそれ。
 
  
 
 

 

 

 
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