例えば、他人から 満面の笑みで、優しい言葉をかけられるときどうだろう。
はて?この人会ったことあったっけかしらん?
この人に優しくされる謂われはあったかしらん?
とは考えないだろうか?
私の中でのポジティブソングへの忌避感は 24時間テレビに対する忌避感ととてもよく似ている。。
愛を語り、笑った顔でごまかしているからこそ、ふとした時に垣間見える素の表情に戦慄する。
----この世界には踏破できない悲しみはなく。
神はこなせる試練しか与えない。
裏も表も無く、誰隔てなく この世界には愛が満ちている。---
昔々、あるところにシンデレラという娘が居て。
継母が居て、継母の娘達とも 仲睦まじく暮らしました。
なぜなら 継母、継子にも、隔たり無く世界は愛に満ちあふれているからです。
おしまい。
こんなものは何の物語にもならない。
そしてものすごく嘘くさい。
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「NO1 にならなくてもいい。
それぞれが オンリーワンなんだから。」
と押しつけられた結果、せっかく一番にたどり着いたゴールラインの前で。
どん尻の同級生がドタドタ走ってくるのを待ってせーので一緒にゴールする。
得意な運動でNO1になることは許されず。
順位をつけない という愛を学ぶ。
それでも、世界は、常に競争に満ちている。
スーパーの売り場に並んだ傷んだ果実を敢えて選び取ったりはしないだろう?
同じ値段で一番キレイな果実があったらそれを選ぶ。
誰だってそうだろう。
俺だってそうする。
花屋の店先に並んだ花は例え みんなキレイでも。
NO1は同時にオンリーワンでもある。
店先に並べず 手折られたNO2 NO3は無数にあるのだ。
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この世に永遠と絶対はない。
そういうことを易々と言ってのけるのは詐欺師だけだ。
俺がオマエを幸せにしてやる 系のオラオラソングからは
まずは言葉から薔薇の匂いで糊塗された腐臭が漂う。
手を縛って飛び降りた心中ですら お互い相手を下にしようともがいて落ちるというのに。
否。
そんな汚濁で
愛を否定してはならない。
得がたいからこそ 尊い。
永遠の愛など まず実現しないからこそ美しい。
だから 膝まで汚濁に浸かったこの世界で、 そらに向けて 叫ぶのです。
私はそういう歌が好きです。
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アリストテレス の詩学で 悲劇によるカタルシスという概念を顕している。
人々の不健全な感情を、「悲劇」を鑑賞することにより瀉血するように浄化すること。
ギリシア悲劇は、誰も悪を成していないのに、不幸に見舞われる。
オイディプスは、知って先王である実父を殺した訳ではない。
オイディプスは、知ってて 実母と子をもうけた訳ではない。
だが、彼は彼の正義のもと、先王を殺した犯人を捜す。
正しい行いをした結果、不幸に気がつく。
そういう悲しみによってこそ 人々の不健全な感情を浄化せしめるというのだ。
誰しもがハッピー 満ちあふれる愛 そんなポジティブを煮染めた音楽に。
人々を揺り動かす力など あろうものか。
あ、ドリカム LAT43°N は好き。
あれ 不倫の歌?
■ゆずやドリカムのポジティブ感が苦手という人 素直に受け入れられないのはなぜ?
(キャリコネ - 06月11日 12:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4615434
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